高知県の歴史に触れる県史特集「艶やかで楽しい 土佐の甘味の足跡」

今回のテーマは、高知県の甘味の歴史。 かつては高級品だったものが、 社会の成熟とともに、庶民も楽しめるものへ。 今も昔も変わらないのは、その艶やかさかもしれない。


生菓子図案集 山内家資料「生菓子図案集」(高知県立高知城歴史博物館蔵)に描かれた生菓子。図案の上下には「初夢」「編笠焼」といった菓子の銘や、小豆・葛などの材料が記されている。

とてもかわいらしい 土佐のお菓子の歴史 当時の庶民の甘味とは?

江戸時代後期から、食は「娯楽」としても親しまれるようになり、お菓子などの甘味もまた、この頃から日本各地で発展していった。今回は、「土佐の甘味」をテーマに、高知県立高知城歴史博物館の藤田雅子学芸員を訪ね、幕末期の暮らしを伝える貴重な資料から、当時の土佐の甘味事情を教えてもらった。

まず見せてもらったのは、土佐藩主・山内家に伝わる、かわいらしい和菓子の数々が描かれた「生菓子図案集」。当時の生菓子のデザインや材料が記されている。「とはいえ当時は、お菓子といえば高級品。庶民が日常的に楽しんでいた甘味は、サツマイモの干芋や真瓜(まくわうり)でした」と藤田さん。「真覚寺日記」(土佐市)では、サツマイモを栽培し、しょ糖を作る村人の様子が記されており、藤田さんは「高知で親しまれている『ひがしやま』の原型は、もうこの時期にはあったかもしれない」とも話す。

土佐職人絵巻「土佐職人絵巻」壬生水石筆(高知市立市民図書館蔵)には、賑やかに飴を売る、当時の商人の姿も描かれている。

庶民のために作られる 和菓子の始まり。 菓子職人の原型も。

「江戸時代後期になると、庶民の生活水準が大きく向上し、甘味を楽しむ余裕も生まれてきました」と藤田さん。砂糖の流通が始まったこともあり、お菓子もまた、「高級品」から「日常的に楽しむもの」に変わっていく。19世紀初頭の土佐の暮らしを記した「番袋(ばんぶくろ、高知市民図書館蔵)」によると、子どもの玩具と一緒にお菓子を販売する「十九文屋」という商人が登場したという。また土佐藩の御用菓子舗だった「西川屋」が、上方で最新の生菓子を学び、その製法を高知に持ち帰ったとも。今も活躍する高知の和菓子職人たちの原型は、この頃から姿を現し始めたのだ。

復刻された西川屋の「山ノ薯饅頭」(左)。「菓子仕成扣帖」(右)には、当時のさまざまなお菓子の材料なども記載されている。

土佐の甘味の歴史は 菓子職人の店にも。 庶民に愛されてきた。

番袋にもその名が記され、県内有数の歴史を誇る菓子舗「西川屋」には、当時の土佐の甘味文化を伝える貴重な資料が今も残されている。その多くは土佐藩・土佐藩主からの注文書だが、およそ200年前の注文書をきっかけに復刻された「山ノ薯 饅頭(やまのいもまんじゅう)」というお菓子は、まさに代表作で、歴史の趣きまで味わえそう。西川屋に保存される「菓子仕成扣帖(かししなしひかえちょう)」をひもとけば、明治期以降、高知でも饅頭やカステラ、スポンジケーキなどが、庶民に親しまれていったことが分かる。土佐の甘味は時代を超えて愛されてきたのだ。

浦戸湾風景絵巻物江戸後期のはりまや橋周辺を描いた「浦戸湾風景絵巻」(高知県立高知城歴史博物館蔵)。十九文屋もこの地にあった。