作家・宮尾登美子が
エッセイを通して伝える着物への思い
着物姿が印象的な高知の女性といえば、大河ドラマ「篤姫」や「義経」などの原作を描いた歴史に残る人気作家・宮尾登美子ではないだろうか。高知に生まれ、21歳で作家の道を志し、40歳目前まで故郷・高知で作品を描いた。そのヒロインの多くは、着物姿が目に浮かぶ日本的風土や古いしきたりの中で生きる女性の姿。そしてまた、自身も着物を愛用し、出版記念や自著原作の映画発表などの折には、作品に合わせて調えた着物で登場し、晴れの舞台を飾った。宮尾登美子70年の歴史をたんすの中の着物とともにつづった「きものがたり」や「花のきもの」などのエッセイには、着物にまつわるさまざまな思い出がつづられている。 宮尾さんの着物への愛着は「着物が好きだから、という単純なものではない。人生とともにいつもそばにあるもの、という感じがします」。宮尾文学に精通する学芸員の岡本美和さんはそう話す。実際エッセイには、終戦後の満州やその後の人生の変転で着物を全て無くしてしまった経験、嫁ぎ先で無一文になった自分に姑が蚕を飼い、糸を取り、はたを織ってくれたことなど、いろいろな実話が当時の心象とともにつづられており、著書のあとがきでは、「女のきものにはそのときどきの悲しみやよろこび、そして大きくいえば世相まで染みついているように思います」と言葉を残している。
一方で、しきたりの厳しい花街で育った宮尾さんは、日本の四季と伝統を重んじた。 「桜花らんまんの季節に桜の花模様の着物を着ると、体のなかで既に春は爛けてしまい、眺める桜も飽いてしまったような気持ちがある。桜の模様は二月の終りから三月にかけて、つまり開花するまでが着物の出番で、自ら桜を装いながら木に花のひらく日を心待ちにするのである」。 この文面からは、古き良き日本の風習を大切にした宮尾さんの感性を垣間見ることができる。 また、宮尾さんは作家として住処を東京に移してからも、高知に所縁を持ち、故郷の呉服屋「三條」をひいきにしている。 「ここには山脇さんの目を通して仕入れられた京呉服がぎっしりと詰まっていて、その価値を現金にすると天文学的数字になるという。(省略)私など電話で着物と帯を注文すると、この着物に合う帯は去年お買い頂いた品で間に合います、などといわれ、なるほど、と教えられることはたびたび。客との商いに出すぎずひっこまず、客を嬉しい気分にさせてくれるあたり、達人の腕前、とでもたとえようか」。 文面にも登場する店主・山脇初子さんの他界に伴い「三條」は閉店されたが、その存在は著書の中で今もなお、伝え続けられている。晩年には、高知の染織作家・山本眞壽さんに出会い、その作品を好んで着ていた。終戦後、仁淀川のほとりに14年間暮らした宮尾さんにとって、仁淀川の水と桑の葉で育った蚕の糸を紡ぎ、郷土の草木で染めて織り上げた眞壽さんの着物は、郷土の風景を思い出させるものだったのかもしれない。
高知県立文学館では 宮尾文学の 世界に出会える
高知県立文学館には、ご本人とご遺族より数々の作品や愛用の品々が寄贈されており「宮尾文学の世界」室の一角にある「宮尾さんの愛したものたち」のコーナーでは、季節折々に着物を入れ替えて展示している。