特集 2 おいしい高知の「さ」

かつて「甘い」と「旨い」は同じ意味だった。砂糖が貴重品だった頃から、寿司も、すき焼きも、餅にも、どっさり砂糖を入れた。もし砂糖が十分買えなくて甘くない餅になってしまった時は、「砂糖屋の前を走ってきた」と言い訳をして差し出した。“甘さひかえめ”が定番となった今も、高知は※こじゃんと甘い。


四万十市中村の喫茶店 「ひいらぎ」のモーニング/南国市長岡地区の「鯛ぜんざい」

幡多は甘党 土佐も甘党

 和菓子がうんと甘く、醤油も甘い。喫茶店では、トーストに砂糖の山が付いてくるほど、幡多地域は甘党文化。酢飯に砂糖をどっさり入れるので、寿司が甘い。赤飯も「おはぎ」と違いがわからないくらい甘い。「てんぷら」と呼ばれる芋のかき揚げは、具材の芋も甘けりゃ、衣も甘い。
 甘いのは幡多だけにあらず。南国市の「へんろいし饅頭」は、お遍路さんをもてなすために和三盆ができる前の茶色い白下糖を饅頭皮に練り込み、甘いあんこを包んで蒸した。白下糖が手に入らない時は、バケツをもって芸西村の製糖場へわけてもらいに行くなどし、甘さを守った。
 同じく南国市の長岡地区には、「鯛ぜんざい」という皿鉢料理が残っている。そうめんや煮付けのためにダシをとったあとの鯛を、ぜんざい鉢にどぼんと放り込む。彩りなのか、白玉の代わりに、ピンクの※スマキを輪切りにして浮かべる。見た目はぎょぎょ! 意を決して一口食べると、甘いぜんざいと鯛の身がからまり、意外といける。

甘党の理由は黒糖にあり!?


入野砂糖研究会の若手生産者。左から秋吉隆雄さん、和香さん、田波憲二さん。

太平洋を臨む浜辺のほど近く。ミネラルの豊富な砂地で栽培されるサトウキビは、太陽と雨によって初冬まで糖分を蓄える。サトウキビを絞り、じっくりと釜で煮つめ、型に流し込むと黒糖になる。かつて献上品として土佐藩を支え、今も高知の冬のごちそうだ。
 「みんなぁ好きでやりようがよ」。黒潮町の入野砂糖研究会の会長、酒井貢さん(67)は目を細める。1987年から愛好家が集まり、サトウキビの品種や肥料、糖蜜の炊き方や道具を進化させてきた。現在サトウキビを栽培・製糖するのは、28人の黒糖愛好家たち。森林組合やスナック経営、それぞれ本業がありながら、12月は深夜0時から寝る間を惜しんで製糖に励む。「これで食べていけるわけやない。年末のボーナスみたいなもん」。蜜が固まる直前の糖蜜「ボカ」や、桶の縁につく白っぽい黒糖「とうろこさい」など、貴重な黒糖の味を楽しむ。
 3年前、黒糖づくりに取り組み始めた田波憲二さん(40)。千葉県出身で、たまたま遊びに来た黒潮町大方が気に入り12年前に移り住んだ。妻の頼子さん(40)と機械や農薬を使わない手植え・手刈り・足踏み脱穀の米づくりをしながら自給自足の生活を送る。もちろんサトウキビも無農薬栽培。「黒糖は、サトウキビの栽培から、絞って、炊くまで全て自分。だから、とことんこだわれる」。自ら作った黒糖とボカは、東京などのマーケットで販売。「無名の黒糖はなかなか売れないと思っていたけど、味見をすると気に入って買ってくれる」。
 そんな姿を見て、友人の秋吉隆雄さん(42)、和香さん(39)夫婦も今年からサトウキビ栽培をはじめた。酒井さんや田波さんに教えを請いながら、畑の拡大を試みている。「体を冷やさない砂糖を探して黒糖にいきついた。どんなに疲れていても一粒食べれば、体の奥から元気が湧いてくる」。


黒糖は年末頃から黒潮町の道の駅などで販売される。詳しくは、入野砂糖研究会(0880-43-4815)。


田波さんは「上樫森」(かみかしもり)の屋号で黒糖やボカを販売している。 (0880-43-4110)

column 土佐とサトウキビ
土佐に砂糖が伝来したのは、1797年頃と伝えられる。参勤交代で江戸へ出向いた馬詰権之助親音が関東のサトウキビ栽培と製糖法を研究し、帰郷。長浜などの砂地で実地栽培を重ね、やがて安芸郡や幡多郡へと広がった。現在は黒潮町、土佐清水市、芸西村、香南市などでサトウキビを栽培し製糖している。

土佐弁講座…※こじゃんと:とても   ※スマキ:魚の練り製品