土佐藩主ゆかり 献上品の話

土佐藩主ゆかり 献上品の話

かつて藩主や幕府に納められていた献上品は どんな思いが込められ、作られていたのだろう その歴史や先人達の思いに触れるべく 今も暮らしの中に「当たり前」に存在する 3つの品にスポットを当てた

土佐清水市 かつお節  

六十余州名所図会 土佐 海上松魚釣(高知県立高知城歴史博物館所蔵)
幕府にも愛された 土佐清水の鰹節

今に伝わる鰹節が世に出回るようになったのは江戸時代から。鰹節は「勝男武士」という漢字を当てることもあり武士の贈答品として重宝され、土佐藩は各浦方(※)から鰹節を集めては幕府へ献上していた。その浦方のひとつが現在の土佐清水市。土佐清水で作られる鰹節は品質や生産量が安定しており、文政5年(1822年)の「諸国鰹節番付表」では最高位となるなど、最高級の献上品として知られていた。この頃、土佐清水の鰹節製造で有名だったのが「山城屋(やましろや)という豪商で、中浜(なかのはま)を拠点に1830年頃、隆盛を極めていたと伝えられている。現在、その中浜で宗田節(そうだぶし)を作っている「新谷商店」の4代目・新谷重人(にいやしげと)さんは「幕府に献上されていたような歴史あって、今の自分たちの仕事がある。人が築き上げ、地域に根付いている文化を大切にしていきたい」と話してくれた。※浦方…海辺、漁村の称

土佐清水市では昭和30年頃よりソウダガツオを使った宗田節の製造が始まり、現在は宗田節の産地として有名。それも鰹節製造の地盤があってこそだ。

いの町 氷

毎年同じ日に届く 氷室の氷

いの町本川(ほんがわ)にある「手箱山(てばこやま)」では、冬の間に山中の氷室に雪を詰めて貯蔵しておき、6月1日になるとその雪(氷)を飛脚便で土佐藩主に献上していた。城までは、現在のいの町北部と高知市行川(なめかわ)を結ぶ近道を使っていたため、今ではそ の道は「雪道」と呼ばれている。この史実を伝承しようと平成元年から行われていたのが、毎年6月1日に高知県知事に氷を「献上」する行事。36年にわたってこの行事に携わっていた和田守(わだまもる)さんは「最初は、昔に倣って雪道を実際にランナーが走って知事に届けたんです。地域資源を大切に、そして誇りに思う気持ちがつながれてたんですよ」と話す。「氷が溶けんうちに急いでお届けせんといかん」。先人から受け継がれた熱い気持ちが感じられた。

仁淀川町 お茶

藩主も愛飲したお茶 受け継がれる誇り

 実はお茶の名産地である高知県。中でも県内屈指のお茶の生産地として知られる仁淀川町の歴史は古く、400年にもなるといわれており、江戸時代には藩主にも献上されていたという。「『坂本』で摘まれたお茶が献上されよったという話は聞いたことがあります」。そう話すのは、池川茶業組合の山中忠一(やまなかただかず)さん。「坂本」とは、かつて多くの茶農家がいた、町 ぶし)を作っている「新谷商店」の4代目・新谷重人(にいやしげと)さんは「幕府に献上されていたような歴史があって、今の自分たちの仕事がある。人が築き上げ、地域に根付いている文化を大切にしていきたい」と話してくれた。