高知県の歴史に触れる県史特集「交通の近代化を推し進めた土佐人」

今回のテーマは、高知県の交通の発展。 近代的な交通文化を高知に根付かせた、 土佐の交通王・野村茂久馬とその資料をたどる。 そこには現在の高知に受け継がれる 土佐人の精神があった。


今井 章博さん高知城の丸の内緑地公園に佇む野村茂久馬の像。

内閣総理大臣を務めた浜口雄幸(上写真の中央、内閣総理大臣を務めた浜口雄幸(上写真の中央、茂久馬は右から二番目)とも交流があった。

激動の時代をかけた、
「土佐の交通王」の 新たな顔が見えてきた。

江戸時代が終わり、電車やバス、蒸気船といった新しい交通手段が登場した明治の時代。その中期から昭和の初期にかけて、高知県における陸海の交通・物流網の整備に生涯を捧げ、後に「土佐の交通王」とも呼ばれた人物をご存知だろうか。

その名は、野村茂久馬(のむらもくま)。激動の時代に、今では当たり前になったさまざまな交通文化を高知に根付かせた彼は、いったいどんな志の持ち主だったのか。

令和元年には、茂久馬の生誕地である奈半利町で、生誕150周年を記念した「土佐の交通王 野村茂久馬展」が開催された。それまで知られていなかった書簡や遺品などが展示され、その偉業の裏側や与えた影響の大きさ、豪快な人物像までもが明らかになった。新しい高知県史の編さんにおいても、高知の近現代史をひもとく資料となるだろう。

そこで今回は、展示会が開催された奈半利町の「森家住宅(旧野村茂久馬邸)」の主屋に、元土佐史談会副会長の今井さんをお招きし、茂久馬の活躍の軌跡を辿った。

高知城追手門前高知城追手門前にフォードを並べた。

資料が語るのは、 精勤豪放な人物像。
「わしは土佐の 野村でええ」。

「茂久馬さんは本当に精勤豪放な方なんです」と、資料を研究する今井さん。代表的なエピソードは、大正期に茂久馬が自動車(フォード)の輸入販売を行った際の裏話。

なんと茂久馬は、高級な外国車を購入しては、片っ端から分解し、最も運用 しやすい部品が使われている車種を研究したという。

その後、茂久馬の手腕を耳にしたアメリカのフォード本社から、日本総代理店の申し出があったが、彼は「わしは土佐の野村でええ」と断った。郷土の発展こそを第一に、我が道を行くその姿は、まさに生粋の土佐人。そんな豪胆さもまた、高知の交通の近代化を推し進めたエネルギーだったのかもしれない。

旧野村茂久馬邸を管理する森美恵さんと、所蔵されている書簡。県史編さん事業でもその調査が待たれる。

交通から観光へ。
野村茂久馬が 高知に与えた影響。

昭和になると、茂久馬本人が記録した写真も数多く残されており、「自分を記録することを意識していたのでは」と今井さんは考える。

昭和初期に室戸観光ブームの火付け役として奔走する写真や、高知鉄道の社長に就任し、手結(てい)・安芸間の延伸工事を始めた写真など、ま すます活動の幅を広げる茂久馬の姿を見ることができる。

昭和10年には、鉄道で高知を訪れる観光客の誘致活動も開始。「室戸岬案内」のレコード制作、バスガイドの起用、さらには南国土佐大博覧会のPR映画の制作などにも挑戦し、交通の近代化による恩恵を、地元経済にもたらそうとした。土佐の交通王の功績は、今も高知県に受け継がれている。

茂久馬の資料旧野村邸を管理する森さんが所蔵する茂久馬の資料など。こうした個人所蔵の資料もまた、県史の編さんに欠かせない。