昔々にあったとさ「塩ふき臼」

印刷用_とさぶし40絵

伝え継がれる土佐物語

「塩ふき臼」

とんとむかし、吾平というて心のやさしい漁師がおったそうな。ある年のこと、海があれてさっぱり漁がなかった。そこでお正月が近づいたが餅の一つもつくことが出来なかった。

 ある晩のことだった。「ごめん下さい」といって、トントンと戸をたたく音がする。

 いま時分、だれだろうかと思って戸をあけて出ると、そこにヒゲのおじいさんが立っておって、「わしゃ、旅のもんじゃが、道に迷うて困っておる。ひとつ泊めて下さらんか」とこういう。

 親切な吾平は「こんなむさくるしい所でよかったらどうぞ」と、やさしくもてなしたそうな。

 あくる朝、おじいさんは、親切にしてもらったお礼だといって、吾平に「右へまわして欲しい物をいったら出て、左へまわしたらすぐ止まる」という宝のひき臼を渡すと、どこへともなく姿を消したと。

 喜んで吾平が「餅でろ、餅でろ」と臼をまわすと、おいしそうな餅が山のように出てきたので、お人よしの吾平は隣り近所の人たちにもわけてやったそうな。

 するとこの村に勘助という欲ばりの男がいて「吾平のやつ、急に餅なんぞついて、なんぞわけがあるに違いない」と思うて、ある晩、こっそりしのびこんで様子を見ていると、吾平が「金でろ、金でろ、ひき臼まわれ」というて、小判を出しているのをのぞいたと。

「しめた」と思うた勘助は、吾平が寝静まるのを待って、こっそり臼を盗みだすと、食べ物を臼を舟につんで、村をはなれた。

 勘助は、はるか沖の島へ行って、大きな家を建て、欲しい物はなんでも臼から出して、思いっきりぜいたくな生活をしてやろうーこう思いながら舟をこいでいた。そのうち腹がへったので吾平に貰うた餅を食べたところ味が薄いと。

 そこでひき臼をまわして「塩でろ、塩でろ」いうと、サラサラ塩が出てくる。

 ところが止めることを知らんので、ドンドン出て、とうとう舟は沈み勘助はおぼれ死んだと。今でも海の底で臼はぐるぐるまわって塩を出しているので、それで海の水は塩辛いそうな。  

 むかしまっこう さるまっこう   

  さるのつべは ぎんがりこ

土佐の天日塩 

塩丸

高知県内各地に広がる塩作りの製法「天日製塩法」。高知県黑潮町にある「土佐の塩丸ソルティーブ」では、約 36 年前からこの製法での塩作りをスタートさせた。組み上げた海水を、陽光や風など、自然の力でじっくりと結晶にすることで、ほんのりと甘みがある塩が出来上がる。高知県を代表する郷土料理・カツオの塩タタキにも、欠かせない調味料。