昔々にあったとさ「犯人さがしの新介」

語り継がれる土佐ものがたり

「犯人さがしの新介」

今から三百年前の元禄の時代、 戸波村市野々でハタゴ屋(※1)を営む新介という男がおった。ある日、赤岡の反物商人が泊まり、朝早く旅立って行った。 ところが昼過ぎ、名古屋坂で反物商人が殺されていることがわかり、大騒ぎとなった。 やがて藩の役人が乗り込んできて取り調べが始まったが、 殺人犯の嫌疑は新介にかかり、牢へ入れられた。 新介は役人に殺人に使ったサス(※2)は塩田用のもので、 犯人はこの村の者でないことを涙ながらに訴えた。 それは役人の心を動かし、処刑は三十日延ばすが、 その代わり期限内に犯人を見つけ出せという命令だった。 新介は仏様に願をかけ、 真犯人を教えてくれたら、お大師堂を建立すると約束。 また夜中、一山越した多ノ郷村久通の観音様にもお参り祈願した。足を棒にして犯人を捜したが、あっという間に二十九日が過ぎ、約束の期限の日の夜中過ぎ、 久通の観音様にお参りを済ましての帰り道のことだった。 浦の内村奥浦を通っておると、 道筋の一軒家で大声をあげて夫婦ゲンカをしていた。 「あてをいじめよったら、おまさんが名古屋坂で反物商人を殺したことを訴えてやる」 という女の声。真犯人はここにいた。 新介は飛ぶように帰ると、役人にこのことを申し立てた。 役人が行くと男は観念して白状したので、 無実の罪を晴らした新介は、 約束通り市野々に立派な大師堂を建ておまつりした。

(※1)ハタゴ屋…主に一般市民や公用旅行以外の武士が利用した休泊施設 (※2)サス…腰刀、懐刀、細工用の小刀

出典/土佐おもしろ人間烈伝
著者/市原麟一郎
天衣無縫に生きたい土佐おどけ者の生き様に惹かれ、「近代土佐における、おどけ者の探求」を行い、数々の民話を発行。そんな市原麟一郎氏が惹かれたおどけ者は「いごっそう」「どくれ」「ひょうげ」「そそくり」「かんりゃく人」「のかな奴」「おっこうがり」「てんぽのかあ」「ごくどうもん」など。

土佐市戸波市野々の お大師堂

新介の建てた「お大師堂」は、土佐市戸波市野々にある。新介はお大師様の加護で無実を晴らすことができた。そんなわけで、ここは冤罪に御利益があると言われ、地元の人たちの信仰を集めた。現在でも戸波市野々では新介のいわれが伝え継がれている。