昔々にあったとさ「忍術つかい茂平」

語り継がれる土佐ものがたり

「忍術つかい茂平」

今から三百年ほど前、日下の里に茂平という男がおった。貧しい作男(※)で庄屋の屋敷で働いておったが、いつしか庄屋の娘と恋仲になった。けんど身分違いということで、庄屋の怒りを買い、屋敷から追放され、やけくそになった茂平は死ぬつもりで、猿田洞へ入っていった。

ところが洞内で仙人に会い、伊賀流の忍術を習った。そして、三年後、忍者に変身した茂平はさっそうと洞くつから姿を現わし、恨み重なる庄屋の米蔵から、たっぷり米をちょうだいし、残らず村の貧乏人たちに分けてやった。

それから高知のお城下へと足を伸ばした茂平は強欲商人や貧しい農民をいじめる悪徳代官の屋敷へ忍び込んで、金品を頂いて貧しい人たちに配り、すっかり庶民の人気者になった。

そんな時、たまたま出会った猿田洞での兄弟弟子の佐川市之丞と示し合わせ、高知城へ忍び込んで殿様の刀を狙うことにし、まんまとお城への潜入に成功した。

ところが、お客(酒宴)用のごちそうを目の前にして、つい手が伸び、不覚にも酔っぱらって眠り、捕まってしもうたと。

やがて、高知城の三の丸で茂平と市之丞は処刑されることになり、首切り役人が刀を振り下ろした途端、茂平の姿がどろんと消えたかと思うと、そこにネズミが現れ、市之丞の背中へ駆け上がると、ぷちぷち縄を食い切った。

と、今度は市之丞がパッとトンビになって茂平のネズミをつかむと大空高く舞い上がった。あっけにとられる殿様と家来、二人はそれっきり姿を現わさざったと。

(※)作男…雇われて農耕をする男

出典/土佐おもしろ人間烈伝
著者/市原麟一郎
天衣無縫に生きた土佐おどけ者の生き様に惹かれ「近代土佐における、おどけ者の探求」を行い、数々の民話を発行。そんな市原麟一郎氏が惹かれたおどけ者は「いごっそう」「どくれ」「ひょうげ」「そそくり」「かんりゃく人」「のかな奴」「おっこうがり」「てんぽのかぁ」「ごくどうもん」など。

日高村沖名石田の 日下茂平の屋敷跡

日下茂平は、今の日高村石田に生まれた。石田の里を訪ねてゆくと、畑の中に「日下茂平屋敷跡」の標柱が立ち、その裏山には、「日下茂平墓」とあり、無銘の粗末な石の墓がある。

生家跡、墓もあるように茂平はれっきとした実在の人物。