幾度となくやってくる 災害を乗り越えて
とさでん交通の長い、長い歴史の中にはいくつもの転換期、変革の時があり、それに伴い経営体制、会社の規模、社名、本社の移転など、さまざまな変化を繰り返してきた。
天候に左右されることも多く、幾多の災害や緊急事態にも直面してきた。とりわけ、大きな被害を受けたのは空襲、地震、台風、水害など。昭和20年には高知大空襲、翌21年には南海地震と、歴史にも残る大きな出来事があり、社屋の焼失や車庫の水没など大きな被害に見舞われた。その後も昭和45年の台風10号では2億9000万円もの損害が、そしてまだ記憶に新しい平成10年の高知豪雨でも軌道の水没や故障などによって大きな影響があった。
そんな事態が起こるたび、1日でも早い復旧を目指して社員一丸となって取り組み、多くの人の足を支えてきた。
減少する利用客…
それでも 「乗るきっかけ」づくりに奔走
現在の年平均利用客数は約600万人、昭和37年のピーク時には年間で3300万人だったというから、いかに電車が多くの人に利用されていたかが窺える。それと同時に、利用客の減少が著しいのも事実だ。
そんな中、とさでん交通がこれまで取り組んできたたくさんの新しい試み。「街中を走る」「大きな車体」ということに目を付け、いち早く車体を丸ごとラッピングする全面広告電車を導入したり、県外や外国で走っていた珍しいデザインの電車を譲り受けて走らせるなど、いろんな車両を取り入れ、利用客や沿道を行く多くの人の目を楽しませてきた。
そして現在は、日曜・祝日に路面電車、路線バスなどが無料になるキャンペーン(令和4年1月末まで)が行われており、他にも一般の方が参加できるイベントの開催や、子どもたちの車庫見学を受け入れるなど、県民との触れ合いも大切にしている。
製造から70年を超える車両を今でも大事に使っていたり、洗車は一両ごとに手作業で行っていたり、冷房設備が無い電車にはお詫びプレートを掲げ、時には家庭用のエアコンをつけて対応したり…。
とさでん交通が当たり前に続けてきた多くのことが、逆に新鮮な印象を受け、たくさんの人に愛されるゆえんになっているのかもしれない。