世代を超えて一丸となる年に1度の大行列
大川上美良布神社 おなばれ
●香美市香北町韮生野243 ●11月3日(火) ※今年の開催は未定
江戸時代から受け継がれてきた祭りで、大川上美良布神社から約800mほどを神輿や棒打ちなどを披露しながら往復で練り歩く。長さ約6mほどある鳥毛羽熊の練り込みが祭り一番の大見せ場。
江戸時代から 現代へ伝わる大行列
香北町韮生野に鎮座する疫病封じの大川上美良布神社では、地域の発展や五穀豊穣に感謝して「秋季例大祭」が行われる。その一部であり現在ではメインイベントとなっている「おなばれ」は、江戸時代文政の頃に香北町の文化人である竹内重意が「美良布神社奈波連」として記録に残しており、江戸時代から受け継がれてきた歴史あるお祭りとして高知県指定無形民俗文化財に指定されている。神様の御魂をお移しした神輿を、約800mほど先の御旅所までを総勢約250名ほどが出し物を披露しながら往復して練り歩く。その大行列には韮生郷(現香北町、旧上韮生村)の大人から子どもまでが一丸となって参加し、現代に根強く受け継がれている。
祭りに託す これからの未来
朝、例祭を行い地域の発展を祈願。午後、神輿に神様の御魂をお乗せしてから「おなばれ」が始まる。少年の部の「基盤振り」、一番棒を競い合う「棒打ち」、小学生女子4名が巫女として舞う「浦安の舞」などを披露。中でも、青年の部が受け持つ長さ約6mほどもある鳥毛羽熊は、頭にかざされると御利益がもらえると言い伝えられており、祭りの終盤にはそれを拝殿へと練り込む。勢いをつけて走り、腰を落としながら鈴を鳴らす。子ども達はこの鳥毛羽熊の御供を担当することに憧れを抱きながら祭りとともに成長していく。宮司の甲藤さんもその一人だ。父や祖父も代々鳥毛羽熊の御供を担当しており神職になったのもこの祭りがきっかけ、幼い頃から携わってきた分思い入れも深い。「薄れゆく地域のコミュニティーがこの祭りによって保たれていると実感しています。今後もこの祭りを残していくために、大学生や移住者にも携わってもらい、韮生郷の良さをより多くの人に知ってもらいたい、この祭りをこれからも残していきたいです」と話してくれた。
300年以上続く高川の伝統行事
高川の早飯食い
●高知市土佐山高川778 ●11月8日(日) ※参加人数を制限して開催予定
新米を味噌とお湯のみで残さず早く食べるという伝統行事で、高知市指定の民俗文化財として登録されている。スタートと同時に「湯~湯~湯~」「ミソ ミソ ミソ」と声が飛び交う。
始まりは 平家の落人伝説
古くは源平合戦の時代、戦いに敗北し山深い急峻な地形の高川地区で生活をしていた平家の武士たちが、出陣前に急いで腹ごしらえをしたことが「早飯食い」の起源と言い伝えられている。また一説では、戦時中の米がとても貴重だった頃、毎年11月8日の神祭の日に集まり、五穀豊穣に感謝しながらも密かにかつ急いで新米を食べたことが伝統行事として残ってきたのではないかとも考えられている。現代では、釜で炊いた新米を早く食べきることで御利益が得られるといわれ、「どうぞお食べください」の合図で早食いが始まる。「湯~湯~湯~」、「ミソ ミソ ミソ」と大きな声で配席(お湯や追加の味噌を配る人)を呼ぶのが特徴的で、慣れている人は新米にお湯を掛けそこに味噌を溶かして流し込むようにして食べる。食べ終わると「ゼン ゼン ゼン」と言いお膳を下げてもらう。早い人はなんと15秒ほどで平らげ、奇祭としても有名である。
先人から 受け継がれてきたもの
代々高川地区の行事に携わってきた高川地区長の髙橋幹博さんは、今後の展望をこう語る。「早飯食いをはじめ高川には古くから受け継がれてきた伝統行事が多く残っています。それらを後世へつなげていくために、まずは土佐山に親しみを持ってもらうことが大切だと思っています。そのためにも今までは高川地区の人のみで行われてきた早飯食いですが、最近では土佐山学舎の小学生や移住者も参加できるようになり、これからさらにファンを増やし、後継者につなげていければと思っています」。高川地区では他にも、行事で使う技術を廃れさせないようにとわら草履を編むワークショップなどを積極的に行っている。300年以上前から続く早飯食いが現代に残っているのは、「地元を愛する心」も先人から受け継がれてきたからかもしれない。