洋楽と盆踊り、新旧がコラボする祭
奥物部湖湖水祭
2018.08.14
よさこい祭りが終わり一息ついた夏の夜長、帰省や県外客でごった返す高知の夜空に華を咲かす大輪の花火。そんな中、花火の爆音に負けじと、ユニークな試みで存在感を放つ祭がある。今年で58回目を数える奥物部湖湖水祭。若者にも祭に参加して欲しい…、昔のような活気を呼び戻したい…、でも昔ながらの伝統をきちんと後世に伝えたい…、そんな想いに揺れる地域の人達の想いを綴る。
洋楽と盆踊りが異色のコラボ
湖面に5000個もの灯籠が浮かび、あたり一面幻想的な雰囲気を漂わせたかと思いきや…
次の瞬間には地元民もよそ者も老いも若きも櫓を囲み輪になって踊る。洋楽と盆踊りの異色のコラボレーションに会場は沸き、花火大会を挟んで午後10時まで盛り上がりをみせる。ゆっくり踊りたいお年寄りは「お富さん」や「しばてん音頭」。アップテンポで踊りたい若者は、「セクシー・ミュージック」。曲調は違えど、古くより地域に伝わる踊りを受け継ぎ楽しむ姿は、片田舎の夏祭りとは思えないほどの熱気に包まれる。
半世紀の時を経て今に至る
奥物部湖湖水祭が始まったのは昭和31年。尊い命を犠牲にダム建設に務めた24名の方々の慰霊と五穀豊穣を兼ねた商工祭として誕生した。当初は大栃商店街を踊り子たちが練り歩く鳴子踊りをはじめ、京都から流れてきた落人が故郷を思い踊ったと言われる「はっさん」や、手を上下にばちばち叩きながら踊る「ばちばち」などの伝統芸能に親しんでいた。しかし時代と共に時は流れ、徐々に若者の客足が途絶え始める。そんな中、「若者でも楽しめるような踊りを」と立ち上がったのが、当初より祭の踊りを指導していた物部民踊部の故・岩越美恵子先生。東京で出会ったディスコミュージックにヒントを得て、伝統芸能である「まわり千鳥」や「ばちばち」などに、洋楽を取り入れた。これが湖水祭の転機となる。
新旧のコラボで若者に届ける
1960年代の1910フルーツガム・カンパニーの「サイモン・セッズ」や、70年代後半から80年代初めに脚光を浴びたノーランズの「セクシー・ミュージック」と、伝統芸能をコラボレーションさせるという、あまりにも斬新な試みは若者たちの心をとらえ、たちまち話題に。帰省客や近隣の住人らに加え、祭を楽しむためのバスツアーまで企画され、県内外から大勢の人達がこぞって参加。飛び入りで踊れる気軽さと相まって、多くの人を魅了した。櫓を囲み、老若男女が「セクシィー、セクシィー」と口ずさみながらノリノリで踊る様子は、県内の夏祭りの中でも一際、異彩を放つ。
先人らの複雑な想い…
そんな一方で、伝統芸能を守り続けてきた人達にとってその胸中は複雑だ。若者には来て欲しいが、伝統芸能が歪んだかたちで伝わっていって良いものか…、昔ながらの伝統芸能を愛する者にとってはどこか寂しい。岩越先生の亡き後、物部民踊部を守り続ける先生らは、複雑な胸の内を語る。「若い人たちが祭に来てくれるのはいいことだが、昔からの踊りがなくなってしまうのは悲しい。伝統を守っていきたい…」。伝統を継承し、愛し、守ってきたからこその想い。しかし、後世に継承されなければ伝統文化は途絶えてしまう…。伝統文化を取り巻くこの課題は、ここにも影を落としている。
伝統の中に新しさを取り入れ発信することで、多くの若者やメディアから注目が寄せられる「奥物部湖湖水祭」。華々しい舞台の裏で交差する、先人と若者との価値観のへだたりに関係者は眉をひそめる。この祭を「お山のディスコ」との異名で親しむ人達も多いが、その裏には、伝統文化を守っていきたいと切に願う先人たちの想いがあることも忘れてはいけない。