コラム

土佐藩から幕府へ 土佐の産業発展の礎に

江戸時代に土佐藩から幕府へ納められていた献上品の中でも、代表的なのが「土佐和紙」と「土佐材」。  1000年の歴史を誇るといわれる土佐和紙は、戦国時代に「土佐七色(なないろ)紙」と呼ばれる7色に染められた和紙が開発され、これが江戸時代に幕府への献上品として土佐藩の保護を受けたことから、広くその名が知られるようになった。

土佐材が全国的に知られるようになったのは、大阪城築城時に豊臣秀吉から日本一のお墨付きをもらったことがきっかけ。江戸時代に入ると、大阪城や伏見城(京都府)の修築、大阪の街の復興などにも多くの土佐材が使われた。そして藩の御用木として、本山町の白髪山(しらがやま)のヒノキや、馬路村の魚梁瀬杉(やなせすぎ)など、今も有名な土佐の木材が幕府に献上されていった。

今も身近なところで使われている土佐和紙や土佐の木材には、先人たちの誇りをかけた思いが息づいている。

高知の城下町めぐり

 高知の城下町といえば、高知城がある高知市街地が思い浮かぶが、実は江戸時代の土佐藩には、城下町の機能を備えたまちが各地にあった。ここで紹介した安芸城・土居廓中をはじめ、西部の中村(現在の四万十市)には「中村城」、四国山地の本山(現在の本山町)には「本山城」等々、それぞれの地域で城下町が広がっており、藩主の家臣がそこで領地を守っていたという。

現在、これらのお城の建物が残っていないのは、江戸時代の初期に幕府から「一国一城令」が出され、高知城以外のお城の取り壊しが命じられたため。それでも今日、そうした各地の城跡を訪れると、郷土の歴史を伝える施設があったり、歴史のロマンあふれる雰囲気があったりと、その魅力を感じることができる。

安芸城跡
四万十市 郷土博物館