村民の記憶に残る「魚梁瀬会館」
昭和33年〜48年
多くの観客を収容できた魚梁瀬会館は、馬路村の労働者や子どもたちにとって欠かせない娯楽の場だった。写真は昭和43年頃のもの。
馬路村の娯楽と生きがいを
支え続けた映画館
「映画館に出かける人たちのために、よく貸切の森林鉄道が走ったもんです」と話すのは、馬路村魚梁瀬(やなせ)地域で暮らしてきた井上さん。昭和の前期に盛んだった高知県の林業でまさに中心地となっていた魚梁瀬は、山あいの村とは思えないほどハイカラな雰囲気だったそうで、それを演出していた場所こそが映画館だった。井上さんの父親もまた、映画館を経営していたという。
転機となったのは、「魚梁瀬ダム」の建設だ。昭和32年には、さらに森林鉄道の廃線も決まるなど、時代が移り変わる中で、馬路村の映画館も姿を消していった。しかし、映画をこよなく愛していた井上さんは、父親の跡を継ごうと、映画館「魚梁瀬会館」の再開を決意。同じくダム建設を題材にした映画「黒部の太陽」(昭和43年公開)を興行すると、これが村民たちの間で一躍人気となり、村を元気づけたという。フィルム映画の衰退と共に魚梁瀬会館はその役割を終えたが、村に娯楽や希望を与え続けた劇場の記憶は、村民の心に残り続けている。
「魚梁瀬会館」はダム建設のため一度水没するも、昭和43年に新設され、興行を再開した。