あの頃、映画は最大の娯楽だった

マグロ漁師も通った「中央館」

昭和10年頃〜35年頃

室戸市-中央館

室戸市浮津、現在の「東町商店街」界隈にあった中央舘(写真は昭和31年のもの)。大手配給会社の作品を上映していた。収容できる観客数は500人と、近代的な劇場だった。

映画と暮らしが近かった

昭和中期の港町の光景

 時代は、映画興行の最盛期。マグロ漁が盛んになり、たくさんの漁師たちでにぎわっていた当時の室戸市にも、いくつもの映画館があった。その頃を地元の女学生として過ごした堺さんは、「吉良川町や佐喜浜町といった、海沿いの小さな町にまで映画館がありましたね」と当時を語る。中でも市街地にあった「中央館」と「東劇」は、まさに街の娯楽の中心。そこでは全国的な配給会社が手がける映画が上映されており、街の誰もが新しい映画を心待ちにしていたそう。「公開日が近づくと、街中に手描きのポスターが貼られてわくわくしましたね」。漁を終えて沖から戻ってきた漁師たちが、その足で映画を見に行くことも日常の風景だったという。  

 一方で、「当時の子どもたちが映画を見ることは教育上制限されていたんです」とも。好きな映画を自由に鑑賞できるのは高校生になってからで、小中学生は学校や保護者が関わる教育団体が推薦する特定の映画を生徒全員で見る「団体観賞」で映画に触れていたのだとか。その他にも「商店に貼られている映画のポスターを譲ってもらえると、それが映画の割引券になった」など、映画が暮らしに根付いた、ユニークなローカルルールがあったそうだ。

当時の街の光景

昭和32年頃の街の光景。映画館の前の通りは、漁師や学生といった地元の人たちで溢れかえっていた。

中央舘の前で開場を待つ人たち

中央舘の前で開場を待つ人たち。入り口には鑑賞料を入れるドラム缶が置かれていたそう。