鰹節から宗田節へ 土佐節を100年以上手掛ける

地域一丸となって盛り上げる
土佐清水を代表する味! 

紀州から宇佐浦に流れ着いた漁夫が燻乾の技法を伝授したことに始まった「土佐節」だったが、今度は漁夫の子どもが土佐清水に移り住み、その燻乾法を伝授。土佐清水もまた、鰹節作りで栄えた。しかし、原料となるカツオの漁獲量は土佐市同様に年々減少傾向…。そこで、スポットが当たったのが、当時捨てるほど大量に取れていたソウダガツオ。

「同じカツオはカツオ。節にしてみてはどうだろう」と当時の職人たちの間で話があがり、明治の終わり頃から鰹節業者は宗田節を作り始めた。大正元年創業のたけまさ商店の武政さんは当時をこう振り返る。「作った宗田節は全部県外に出していました。ここは漁師町ですからだしといえば魚のアラ。自分らが作った宗田節を削ってだしをとる人なんか一人もおらんかったですよ」。

そんな中、武政さんがとった行動が今に一石を投じることとなる。漁の規制、漁師の高齢化、担い手不足と、いろんな理由が重なり年々ソウダガツオの漁獲量は減る一方。そんな状況をなんとか乗り越えられる策はないかと道の駅で削り節を販売したところ、これが大ヒット。同時期に発売した、瓶に醤油を入れるだけで作れる「宗田節のだし醤油」も多くの話題を呼んだ。

そして今では、13軒ほど残る宗田節製造業者が一丸となって宗田節の町・土佐清水を盛り上げるまでに。「宗田節は世間一般にはまだまだ知られていないもの。だからこそいろんな可能性があるので、伝統を守りながら価値を見いだしていきたいです」。


一週間ほど培乾した後は、水分を蒸発させるため天気のいい日に半日ほど太陽の日に当てる。辺り一帯、宗田節の良い香りに包まれる。

右から、本枯れの宗田節、通常の宗田節、新子の宗田節。通常でも20cm弱と、鰹節に比べると小さい。