明治期に生産が始まった国産紅茶は、実は高知県が発祥の地。インドや中国で茶業の研究を行った多田元吉がその製法を高知で実現したことに遡る。そのまま全国に広まった和紅茶の生産は、やがて昭和40年代、海外ブランドのパック紅茶が輸入されはじめたことで下火に。各地で栽培されていた茶畑も廃っていった。しかし、そんな和紅茶の復活が実現したのもまた高知県。四万十川の中流域に位置する十和地域で、今から約15年前、地元の「広井茶生産組合」と「四万十ドラマ」が当時を振り返り、復活を模索。紅茶製造の機械があまりに高額で座礁しかけたが、和紅茶プロデューサーの赤須治郎さんの教えを受け、組合員も四万十ドラマの社員も一緒になって、収穫した茶葉を手揉み、自然発酵させるなど、あえて昔ながらの製法を取り入れることで、商品化にたどり着いた。特別なことをしなくてもそれぞれの地域で味わいに違いが出るのが、紅茶。まろやかで、きつくない味わいに、当時の十和で生産されていた和紅茶を思い出し、驚いた住民もいたという。現在は赤を基調にしたパッケージデザインの「しまんと紅茶」などが、地元はもちろん、都会や海外のシティスーパーなどでも販売。土佐の和紅茶を文化として根付かせている。