昔から当たり前のように 身近にあった高知の酢みかん
「高知で酢みかんといえばゆずが有名ですが、日本の酢みかんの中で最も古い歴史を持っているのは、みかんの仲間であり高知にもゆかりのある『タチバナ』です」と教えてくれたのは、高知を拠点に活躍する薬膳・和食研究家の百田美知さん。タチバナとは、古事記や日本書紀にも出てくる日本が原産の柑橘。1300年の歴史があるミカン科の柑橘類の一種で、野生のタチバナは絶滅危惧種にも指定されている。そんな歴史あるタチバナの日本最大級の群生地が高知にあることをご存知だろうか? 場所は土佐市甲原の松尾山で、大小合わせて約200本のタチバナが自生し、2008年には国の天然記念物にも指定された。他にも南国市には県指定天然記念物の「白木谷のタチバナ」があったり、室戸市では昔から、タチバナの酢が頻繁に使われてきたりと、高知県でもよく親しまれてきた。「県外出身の私としては、歴史あるタチバナが自生して今でも実を付けていることはすごい! と思うのですが、地域の人からすれば『昔からあるもんやし、正直ゆずの方がおいしいき今はゆずばっかり使いゆう』とあっけらかんとしていて、これもある意味いろんな酢みかんが、当たり前のように生活の中に根付いていた証だと思っています」。
今では酢みかんの代表格ゆずをはじめ、たくさんの種類が高知で栽培されるようになり、どんどん広がりを見せている。もともと四国は柑橘ができやすい温度帯にあり、地理的な条件がそろっていたということもあるものの、「新しい物好きで探究心旺盛な県民性もここまで広がった理由の一つではないか」と百田さん。そしてこう続けた。「自然と共存している以上、あって当たり前と思わず、これからは守っていくことも大切だと思っています。こんな時代だからこそ、旬の物を食べて旬の効能を得ることの大切さ、昔ながらの使い方や保存方法を知り、それをきちんと伝えていくべきではないでしょうか。高知がいつまでも『酢みかん王国』であるために必要なことを常日頃から考えていけたらと思っています」。
【輸出】日本で初めて輸出に成功した 北川村の「ゆず玉」
日本で初めて、欧州連合(EU)の国境を突破し、青果玉として輸出に成功した北川村のゆず。そのゆずを栽培した人こそ「土佐北川農園」の代表を務める田所正弥さんだ。北川村はその昔、中岡慎太郎が推奨したことからゆず栽培が始まったといわれる、高知きってのゆずの産地。代々ゆず栽培を生業としている農家も多い中、「土佐北川農園」は創設から14年と歴史はまだ浅い。そんな農園がなぜ世界に?「農園の母体である建設会社の新規事業としてゆず栽培を始めることになったのですが、普通の農家では手を出せない原生林みたいな山を1ヘクタールほど借り、重機を使って農園を作りました」。その深山にできた農園が結果的にEUの国境を越える条件の一つとなる。海外市場を求めて、県の職員が農薬や病害虫防除の規制など極めて厳しい輸出条件をクリアできる農園を探していたところ、山奥にある孤立した農園を持つ「土佐北川農園」に白羽の矢が立ったのだ。こうして2012年にフランスに初出荷して大好評を得て以来、毎年出荷を続けている。「正直、輸出用のゆずは手間がかかって利益は少ないんです。それでも『北川村』の知名度が上がり、県全体の販売促進にもつながればと思って続けています」。
【玉出し】青果ゆずの日本一の産地! 国に認められた「物部ゆず」
香美市でのゆず栽培は、1960年旧物部村根木屋地区で130本のゆず苗木が植えられたことに始まる。当時のゆずは果汁原料が主流であった中、いち早く青果の栽培、販売に取り組み、1971年には旧物部村内全体に広がり始め、1975年には、今の「物部ゆず」の特性を生む丁寧な収穫や2度の選別、予冷保管などの生産方法が始まった。そして今日まで、栽培方法に始まり、U・Iターン者を呼び込む体制の構築、栽培意向調査の定期実施、耕作不能園地を担い手へ継承する取組を進めるなど、産地維持に努めてきた。そんな、地域が一丸となって守り、育ててきた「物部ゆず」が、今年の6月農林水産省より地理的表示(GI)保護制度に登録。この高知初の快挙を成し遂げるまで、約4年にわたって準備を進めた柴田さんと竹内さんが地域を代表して語る。「これも全て、先人たちのおかげです。GI登録のため特別に何かをしたわけではなく、先人たちが誇りをもって続けてきた丁寧な仕事ぶりを我々は資料にまとめたまで。GI登録をされて今年が初めての出荷となりますが、国のお墨付きをもらった自慢の『物部ゆず』が1人でも多くの方に知ってもらえたら僕達も嬉しいです」。
地理的表示(GI)保護制度とは…地域で長年育まれた特別な生産方法によって高い品質や評価を得ている、農林水産物・食品の名称を品質の基準とともに国に登録して知的財産として保護するもの。高知では初めて「物部ゆず」が登録された。