特集5 東宿毛駅

偉人を数多く輩出した港町を案内人と歩いてみた。

高知県最西端の町、宿毛市。古代の人は枯れたを「すくも」と呼んだというが、宿毛は葦が生い茂る湿原だったのだろうか。宿毛は陸上移動の困難さから、海運が発達した。高知市から約150 km離れた宿毛に鉄道が通じたのは、わずか20年前のこと。
 そんな宿毛の町で生まれ育った伊與田笑加(いよたえみか)さん(19)の案内で、宿毛の町をつくってきた人々のパワーの源をたどって歩いてみた。

案内人 宿毛歴史館 伊與田 笑加さん

商人のパワー

東宿毛駅で降りて、町の中心街は北の方角ですか?
 宿毛は武士の町で、宿毛城跡の下には武家屋敷が広がっていました。その外側に町庄屋ができ、商人の町ができていきました。ここが真丁(しんちょう)商店街です。
 この商店街の中ほどの町庄屋跡の隣は大黒屋で、“はし拳”発祥の地。九州の船頭から伝わった“薩摩拳”を元に、箸だけでなく石ころなんかも掴んで、その数を当てていたそうです。
 だからでしょうか、居酒屋が多いですね。あ、少し開けたところがある。
 ここは、小野梓(あずさ)記念公園です。小野梓は大隈重信とともに早稲田大学創立に奔走した人物で、小学生にも人気なんです。この公園は最近整備されたんですが、今も時々、早稲田大学の学生さんたちが訪れています。
 吉田茂の兄で、小松製作所を創業した竹内明太郎も、早稲田大学理工学部の設立に多額の寄付をした人物として記念公園に紹介されています。父・綱とともに高知工業高校も創立しました。
 小野梓生誕地の近くの清宝寺(せいほうじ)には、慕う人たちが建てた碑があります。

ここは宿毛で一番の商店街でした。昔は秋祭りに人波が押し寄せ、肩がぶつかりあうほどにぎわっていました。40年ほど前にアーケードができ、一時は、1坪100万円と地価も高騰するほどでした。昭和の終わりをピークにだんだんと店も住む人も少なくなり、アーケードも老朽化したため、一昨年、取り壊して新しい街灯をつけました。(浜田陸紀さん(74))



真丁商店街


町庄屋跡


はし拳発祥の地

小野梓らは戊辰戦争に宿毛機勢隊(きせいたい)として勝利した官軍側として参加したため、その後の明治政府においてたくさんの人が登用されました。しかし、梓はその位を捨てて、東洋館書店という出版社を創立。35歳で亡くなると同郷の坂本嘉治馬がその遺志を引き継ぎ、冨山房という出版社を立ち上げました。『大日本地名辞書』や『大日本国語辞典』などを世に出し、宿毛には「坂本図書館」を造りました。
小野梓記念公園

まちづくりのパワー

旧バスセンターの角の交差点辺りは、水路の蓋(ふた)が目立ちますね。
 商店街のひとつ北はかつて水道町と呼ばれていました。マンホールは桜の柄。桜は宿毛のシンボルで、桜町という町もあります。
 毎年秋に花火が打ち上がる宿毛祭りは、商店街もにぎわいます。小学生の頃、お祭りの時に水路に鯉がいるのを発見して、水路をたどって町を歩いたこともありました。堤防には今も当時の河戸樋管(こうどひかん)が残っています。
 河戸樋管の漢字は右から流れていて、字体も独特ですね。
 堤防の反対側に行ってみましょう。宿毛の町が栄えたのは山内氏の入国以後で、土佐藩奉行の野中兼山が松田川に堰を造り、町に水路を掘り、人びとが暮らしやすいように整備しました。兼山は高知県の各地でこういった公共工事を行っていますが、反感を買ってしまい、死後子どもたち8人は宿毛に幽閉(ゆうへい)されていたんです。河戸堰は2004年に改修されて、近代的な可動堰になりました。でも、ところどころ古い石積みが残っているのを見ることができます。

河戸樋管につながる水路


河戸樋管

学びのパワー

  宿毛城跡の下は元領主の伊賀邸跡。今は宿毛保育園になっていますが、その隣の小学校のグラウンドまで広い邸宅でした。その向かいには、竹内綱・明太郎・吉田茂の家がありました。文教センターを挟んで南は広小路と呼ばれ、道幅が広くなっています。戦があった時はここで敵を待ち受けたようです。この北には小野氏邸が、南には林有造・譲治邸がありました。
 お向かいさんだったんですね。
 小野氏邸跡の隣には、政務を行っていた会所(現・文教センター)の中に宿毛で初めての郷学校・講授館がありました。それまで勉強するところと言えば寺子屋でしたが、講授役に庶民から三宅大蔵が登用されるなど、多くの人々が受講できるようになりました。
 その後は、文館、日新館と、場所と名前を変えて学び舎は存続します。このような場があったからこそ、学識を得た人々が明治維新後、中央政界や実業界で活躍できたんだと思います。

清宝寺の歴史:宝永4年11月4日(1707年)の大地震で宿毛は全滅。当寺の古い記録は津波で流され流失しました。後藤聞行(もんぎょう)が豊後より入寺して布教に尽くし、明治17年(1884年)小野義真が本堂、林有造が山門を一建立寄進して、現在のような立派な寺院になりました。境内には小野梓先生の記念碑があります。(清宝寺住職・清家允さん(72))


講授館跡


林有造邸


宿毛城跡に続く階段


宿毛旧市街地図(宿毛歴史館所蔵)

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