高知県史(自治体史)とは?
高知県について伝え残されたさまざまな資料を調査し、本県の歴史を詳細に記したもの。郷土の歴史を知る、大切な手がかりだ。
土佐の考古資料は 魅力的な宝
高知県史の「考古編」をとりまとめるために令和6年4月に発足した「考古部会」は、鋤柄俊夫(すきがらとしお)部会長(同志社大学文化財保護研究センター)と、松田直則(まつだなおのり)副部会長(高知県立歴史民俗資料館)を中心とする8名の体制。
「高知県の考古資料(遺跡と土器・石器などの出土物)は地域の魅力的な宝」というテーマのもと、それぞれの専門知識を生かし、調査と研究に精力的に取り組んでいる。
鋤柄部会長は「考古部会の活動の意義は、まず、遺跡を含めた考古資料を分かりやすく紹介することで、県民の皆さんがそれらを訪ね、目にしてもらえるようにすること。
次に、それらが『魅力的な宝』であるということを、資料がある地元をはじめ、高知に生まれ育った皆さまや、高知を愛してくれる皆さまと共有することにあります」と語る。
最新技術でよみがえる 考古学のロマン
また松田副部会長は、「近年、遺跡や遺物を立体で図化(ずか)する技術が発達しています。例えば、山城(やまじろ)などの大きな遺跡を立体図として見えるようにすることで、それらを理解しやすくなる」と、3D技術を活用した考古資料の普及に期待を寄せる。
4月の発足以来、委員によって、近世の山内家墓所(四万十町)、縄文時代の刈谷我野(かりやがの)遺跡(香美市)と、十川駄場崎(とおかわだばさき)遺跡(四万十町)の出土物のほか、中世山城などの調査を精力的に進めてきた。鋤柄部会長は、「高知県の考古資料には、豊かな山と川そして海といった全国でも極めて個性的な環境で育まれてきたという魅力がある。
新しい世代の視点や技術を駆使して調査することで、さらにその魅力を磨き上げることができる。今後は、さらに多くの県民の方々から教えをいただき、新しい高知県史の編さんに励みたい」と意気込んでいる。
第九回 大阪城天守閣
史料が語るもの語
連日、多くの観光客でにぎわう大阪城天守閣が、博物館として歴史資料の収集も行っていることはご存じだろうか。
天守閣には、豊臣秀吉ゆかりの品々をはじめとする戦国時代の資料や大阪城にまつわる資料が収蔵・展示されている。
切り取られた花押が語る 長宗我部の末路
書いた人物がその文書の内容を保証する「花押(かおう)」というサインがある。今回紹介する「花押鑑(かがみ)」は、花押や署名を文書から切り取り、コレクションしたもの。
大阪城天守閣の「武将花押鑑」は、伊勢国津藩(現三重県)の藤堂(とうどう)家の家臣が集めたもので、そこには長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)・盛親(もりちか)父子の花押も収められている。
元親の花押には、敬意を示して「土佐守」と記載される一方、盛親は、藤堂家の藩祖・高虎と大坂夏の陣で戦ったためか、「梟首(きょうしゅ、「処刑された」の意)と手厳しい。高知県史の古代・中世の資料編では、花押のデータも集めて掲載する予定だ。