昔々にあったとさ「豪力長左衛門(ごうりきちょうざえもん)」

伝え継がれる土佐物語

「豪力長左衛門」

昔々にあったとさ

 むかし、野根村の中島に長左衛門という豪力の男がおったと。その怪力ぶりを示すいくつかの挿話があるが、なかでも長左衛門の名が全国に知れ渡ったのは、あの出来事があったからである。では、あの出来事とは何か、それは奈良東大寺の日本一のつり鐘との出合いで、このつり鐘は鎌倉時代に豪勇無双といわれた朝比奈三郎義秀がつくと、これが七日七夜にわたり、十里四方に鳴り響いたと言い伝えられておる。  

 そして、以来、誰ひとりこの鐘をついた怪力の持ち主はおらざったと。 ほいたら長左衛門がこのことを聞きつけて、 「よし、このわしがひとつ、ついちゃろ」  

 と心に決め、まずやったのが、何と一か月分の飯の食いだめじゃったと。四斗五升の飯を一度にペロリと平らげると、ふるさと野根村を後に奈良の都へと旅立っていったそうな。  

 ほいたら、朝比奈三郎以来、誰もまだついたことがない東大寺のつり鐘を、土佐の田舎からはるばると長左衛門という百姓がつきにやってきたということで、奈良の都は上を下への大騒ぎになってしもうたと。  

 さて、長左衛門はというと、東大寺へつくと、いとも安々と力任せに日本一のつり鐘をついた。鐘は鎌倉時代以来、何百年ぶりかに、ざまな音をたてたが、たった三日三晩、鳴り響いただけじゃったと。  

 そこで、こりゃおかしいというわけで、ようよう調べてみると、何のことはない。この日本一のつり鐘も、長左衛門の怪力には負けて、ヒビが入っていたという。恐れ入った豪力ぶりじゃのう。ところで、野根村の中村という集落に、昔、大きな藤があって、水がわいておったき、「藤が水」と呼んでおったと。ある時、旅のお遍路さんがやってきて、この水を飲んで予言したそうな。近い内にここから大力の男が現れるだろうというのじゃったが、果たして予言通り長左衛門という怪力男が出てきた。  

 長左衛門の怪力の秘密は、この藤が水だと言い伝えられておる。なお、長左衛門の墓と祠は中島にあり、子孫の方もいる。

出店 土佐おもしろ人間烈伝  

著者 市原麟一郎

天衣無縫に生きた土佐おどけ者の生き様に惹かれ「近代土佐における、おどけ者の探求」を行い、数々の民話を発行。そんな市原麟一郎氏が惹かれたおどけ者は「いごっそう」「どくれ」「ひょうげ」「そそくり」「かんりゃく人」「のかな奴」「おっこうがり」「てんごのかぁ」「ごくどうもん」など。