GUEST
山のめぐみ舎 代表 古城 亜希子さん
神奈川県大和市出身。「山のめぐみ舎」代表。東京で貿易事務として働いた後、平成25年に仁淀川町池川へ移住。地域おこし協力隊として「池川こんにゃく」の継承に取り組む。近年では、ワークショップ講師として子ども達にこんにゃく作りを教えることも。
都会から仁淀川へ 山の恵みと暮らす 素朴な暮らしを求めて
仁淀川町、池川。仁淀川の上流域にあたるこの山間の小さな町には、受け継がれてきた「池川こんにゃく」がある。今それを作っているのは、古城亜希子さん。都会で働き、東日本大震災を経験、やがて仁淀川町への移住を経て、池川こんにゃくのバトンを受け取った。
古城さんが生まれ育ったのは、神奈川県大和市の住宅街。当時、朝の満員電車や事務所に缶詰めになって働くような都会の生活のほかに、別の選択肢があるとは思いもしなかったという。最初に小さな転機が訪れたのは、とある自然食品店に足を踏み入れたとき。そこで有機栽培やマクロビオティックといった食事の在り方を知り、「食」に興味を抱くようになったという。
やがて古城さんは、地域の有機農家と知り合い、畑仕事を手伝うように。そこで鳥の鳴き声や畑に吹く風、安心できる新鮮な野菜の味わいを実感したとき、「自然に寄り添って暮らしたい」というヒントを受け取ったのだとか。
そんなときに起こったのが、東日本大震災。原発事故や経済の混乱に、足元を揺るがされるようなショックを受けながら、「自分には社会を変えることはできない。でも、自分の暮らし方を変えることはできる」と考えた。やがて古城さんは、仁淀川での暮らしに一歩を踏み出す。
仁淀川の上流域である仁淀川町池川では、目の前を青く澄んだ土居川が流れる。
池川こんにゃくと出会い やがて担い手として 職人修行に
古城さんが池川に移住したのは、東京で参加した野菜づくりのワークショップがきっかけ。やがて仁淀川町の「地域おこし協力隊」として移住関連の仕事に取り組むうちに、「池川こんにゃくが途絶えようとしている」という声が聞こえた。
実は、移住の前段階から手伝ったこともあるこんにゃく作り。初めて食べた炊き立てのこんにゃくは、「芋の香り。自然本来の香り。食感も味わいも、これまで食べていたこんにゃくって、いったいなんだったんだろう!」と、衝撃を受けるほどのおいしさだった。
古くは奈良時代より、病を癒す薬や僧侶に食べられていたこんにゃく。ひとつの製法があるわけではなく、それぞれの家で独自の製法が受け継がれてきたことも、いかにも地域に根付いた伝統らしい。「協力隊の仕事として、こんにゃく作りをしてみないか」と打診を受けたとき、古城さんは挑戦を決めた。
それでも始めた当時は、とにかく苦戦続き。地域のお母さんたちと並んで古城さんもこんにゃく作りに取り組むが、形も重さもなかなかそろわなかった。こんにゃくの弾力を決める水の配分量も、芋の状態や季節によって最終的には手の感覚頼りのため、なかなつかめない。さらに冬場ともなれば、冷たい水に手が悴んで痛むほどだ。慣れた手つきでこんにゃくを作り続ける地域のお母さんたちが、とても遠くに感じられた。
丸いフォルムが特徴的な「池川こんにゃく」。
昔ながらの暮らしを実践 山の恵みを受け継ぎ、 新たに伝えていきたい
池川こんにゃくの職人として修行を積みながら、やがて、築80年の古民家を改修して「山のめぐみ舎」をオープンさせた古城さん。「こんにゃくの製造だけでなく、食べ方の提案を交えながら、池川こんにゃくを次世代に伝えていきたい」と考え、こんにゃくを使ったカフェメニューの展開やワークショップなどを開催している。
そんな古城さんは「こんにゃくは、畑で育てるのは難しく、山の中で自然に育つもの。つまり、山の恵みなんです」と話す。「山の恵みと暮らす」という自身の思いとの繋がりを、改めて実感しているという。「今後は、木造の古民家やまきを使うような『昔ながらのお山の暮らし方』も、山のめぐみ舎で伝えていきたい」と、宿泊や自然体験の展開にも着手している。
改めて周囲を見渡せば、自身が移住した当時と比べても、過疎化は進んでいる。だからこそ、「昔ながらの山の恵みがある暮らしを少しでも残していきたい。仁淀川町の豊かな暮らしを、自分たちの手で次世代につなぎたい」と古城さん。こんにゃくを大事にこねるように、理想の暮らしを丁寧に届けていきたい、と。
FM高知で毎週金曜放送中のラジオ「プライムトーク」に出演した時の古城さん。古城さんの出演回は10月1日、8日の2週にわたってオンエア。