山﨑 華子さん 〜 プライムトーク 〜

  着物の本場・京都で習い、経験を積み、高知に戻ってからは独立して個人の和裁士に。個人であることの強みを生かしながら、手縫いでしかできない仕立て、着心地などを追求し、忙しい毎日を過ごす。そんな中で模索するのは「着物文化を伝えるために自分ができることとは」。

祖母と母、2人の影響を受けて 和裁士の道を志す

 裁縫好きだった母の影響で、中学生の頃からミシンを使っていろいろな物を作っていたという山﨑さん。1枚の生地をかたちにしていく作業が楽しくて、小物入れ、かばん、スカートなどいろいろな物が作れるようになってどんどんのめり込んでいった。そして高校卒業後の進路を考えるようになった時、ふと思い出したのは祖母の存在。実は山﨑さんの祖母はその昔、自分で着物を仕立てて着ていたそうで、よくその話を母から聞かされていたのだ。そして「私も着物を一から仕立てられるようになりたい」と和裁士の道へ進むことを決意。進学したのは京都にあった和裁の専修学校で、5年間にわたり京都の伝統ある「京仕立」に倣った基礎から応用までをみっちり勉強。また実践に重きを置いた学校だったこともあり、商品として購入された着物や、撮影で芸能人が着る着物などを手掛けることもあって、失敗が許されない経験を重ねることで腕を磨いていった。そして、一級和裁士をはじめとする在学中に必要とされる資格は全て取得して卒業。京都の着物を仕立てる会社で数年働いた後高知に戻り、ブライダル会社勤務を経て平成30年に独立した。 

 

個人であることの強みを生かして 自分にしかできない仕立てを

 個人の和裁士として歩み始めた山﨑さん。独立してから今までずっと呉服屋や衣装店などとは提携しておらず、全てお客様一人ひとりとやりとりをしているそう。「最初に知り合いの方にお仕事をいただいて、その方が次の方を、その次の方がまた次の方を、という感じでお知り合いをご紹介いただき、ご縁だけでここまでやってこられました」。また、個人であるがゆえにお客様に直接会う機会も多いが、それも仕立てをする上で欠かせない重要なポイントに。「間に呉服屋さんを挟んで、お客様に会わずに仕立てる和裁士もたくさんいますが、私の場合は直接お会いして採寸から行うので、より体型に合い、いろんなご要望に添えられるよう心掛けています」。例えばお茶を習っている人の場合、着物を着て座っている時間が長いので、膝の部分に1センチにも満たないくらいの幅を持たせたり、体型の変化によって着た時にどうしても出てしまうしわをお直しで微調整したりと、着物を着る場面やお客様の声に合わせて工夫して仕立てているという。自らの手でその人の体型を把握し、さらにどんな場面で着物を着るかなど細かい話を聞くこともできるので、よりTPOに合わせた着物の仕立てができるというのだ。そんな丁寧な仕事ぶりは口コミで広がり、ご縁の数珠つなぎは今なお続いている。

着物文化を継承するために 自分にできる事を模索して

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今も毎年開催されている「全国和裁技能コンクール」に出場した時の1枚。当時山﨑さんは4年生で、優秀な成績を収めたとして表彰された。

 「着物」と聞くと、どうしても敷居の高さを感じてしまいがちだが「もっと気軽に楽しんでほしい」と山﨑さんは言う。結婚式など正式な場所に着る時には着物や帯などマナーが必要となるが、普段に着る場合は洋服と同じように好きな色や模様を自由に組み合わせて楽しんで、より身近な存在になることを切に願っている。そしてその「着る文化」をきちんと後世に受け継いでいきたいという思いも強い。「手縫いで仕立てた着物は、糸をほどいてしまえば1枚の反物に戻ります。昔から着物は、仕立て直しを繰り返しながら親から子へ、子から孫へと受け継がれてきました。その素晴らしい文化を守るため、そして未来につなげるよう、布地が傷まないように1針1針丁寧な仕立てをこれからも続けていきたいです」。今は着物を仕立てたり、お直しをしたり、和裁士として仕事をこなすことに精いっぱいだが、ゆくゆくは着物を着る文化、そして着物を手縫いする文化の継承にも何らかのかたちで携わっていきたいという。「日本の伝統衣装である着物の文化が無くなってしまわないよう、私にも何かできることはあると思います。日々着物と向き合いながらその答えをじっくり探していきたいと思います」。


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FM高知で毎週金曜放送中の番組「プライムトーク」に出演した際のスタジオの様子。山﨑さんの出演回は12月25日、1月1日の2週にわたってオンエア。