祭人も見物客も入り乱れるけんか祭り
だんじり祭り
●安芸郡東洋町生見758-3 五社神社 ●5月4日(月・祝)・5日(火・祝)
300年以上昔から行われてきた祭りで、迫力のあるだんじりや神輿の行き交いが見応えあり。近年では、神輿やだんじりを引く可愛らしい子どもの姿が評判の「こどもだんじり」も行われている。
白浜自慢のけんか祭り
安芸郡東洋町の五社神社では1年に一度、豊漁と海上安全、家内安全を祈願する祭りが行われている。神のおはす神輿とだんじりのせめぎ合いは荒々しく迫力があり、地元はもちろん、県内外の観光客にも喜ばれている。「だんじり祭り」は、五社神社が創建された江戸時代初期から300年以上も続く祭りで、白浜地区の住民が一丸となり、神輿やだんじりの担ぎ手と裏方を合わせ、総勢100人余りが参加をする町を挙げての一大行事。人口の減少や少子高齢化など、どこでも危惧される問題は同じく抱えてはいるが、「だんじり祭り」をつつがなく執り行うことは、白浜の人々にとっての「誇り」だ。
町の人を 活気付かせる行事
朝、五社神社の本殿に祀られている神様の依り代が神輿に移される。その神輿を白浜地区で選ばれし約20名の男性が担いで「神輿の道」へ。神様は人々の祈りを聞き遂げながら町内を練り歩き、そして白浜を遊ぶ。神様にとって氏子の元に訪れるのは1年に一度きり。しばらくぶりの外出で暴れたい神様を止めるのがだんじりの役目だ。終焉が近づくにつれ、だんじりが神社の本殿へと神輿を追い込んでいく様は、興奮が絶頂に達する圧巻の情景だ。町には太鼓の音が響き、祭人も見物客も入り乱れ、人々の高揚感に包まれる。こうして、夜の9時頃まで町内を練り歩くことで、町民の健康と家内安全と商売繁盛を祈る。 この祭りを取り仕切る白浜青年団会長の廣田斎史さんは「普段は静かな海辺の町が活気付き、1年の繁栄を願う場として大切な祭り。この行事の尊さを若い世代にもしっかりと繋いでいきたい」とだんじり祭りへの想いを語ってくれた。
泥を塗って豊作と健康を願う
神田祭り(どろんこ祭り)
●高知市長浜6600 若宮八幡宮 ●4月4日(土)〜6日(月)の3日間
若宮八幡宮社殿で行われる神事に始まり儀式田では田植えが行われ踊りや泥塗りが披露される。近年は、小学生を対象とした「泥塗り合戦」など参加型のイベントも開催。
土佐三大奇祭の一つ
長浜・若宮八幡宮の「神田祭り」は、別名「どろんこ祭り」と呼ばれ、土佐路に春本番を告げる風物詩として広く知れ渡る。その起源は約460年前の戦国時代、長宗我部氏が四国を治めていた頃に端を発す。 江戸時代に入り山内忠義公が領地検分のため、供を連れて長浜の地に立ち寄った際、畦道を歩いていると、野良作業をしていた早乙女の投げた早苗が泥をはね、忠義公の袴の裾を汚した。それを見た供侍が早乙女を手打ちにしようとしたところ、忠義公が「畦道は民百姓の道。それを歩いては野良作業の邪魔になろうもの。大いに農事に励むように」と怒るどころかその早乙女にお褒めの言葉を賜わり、見ていた人々が泥を掛け合って喜んだとの言い伝えも残されている。そして、泥を「神聖」な女性につけてもらうことによって、生成発育の精気を取り込むという泥への信仰心と結びついて伝えられた。「女天下の三日間」と呼ばれ、女性の仕事への労いと娯楽性を兼ねた。
住民みんなで楽しむ「土佐」らしい祭り
現在では、若宮八幡宮の氏子にあたる6地区の有志や応援隊により継承されており、男女が揃いの浴衣で集まり豊作祈願の神事を行った後、12人の女性が神田で田植えをし、男性に泥を塗り始める。泥を塗られた男性は「ありがとうございます」と礼をいうのが習わしで、たっぷり塗られた男性は夏病みをしないと言い伝えられている。宮司である大久保千鋭さんは、「戦時中にも、やり続けていた祭り。伝統というよりも、娯楽としての祭りの楽しさを若い世代にも知って欲しい。里帰りした時に幼い頃参加した事を思い出し、地元を愛する気持ちを呼び起こしてもらえたら」と、気負う事のない思いを語ってくれた。