地元の歴史ロマンを守る強い思い

東洋町流鏑馬(とうようちょうやぶさめ)

●野根八幡宮10月6日(日)●春日神社宮10月15日(火) ※流鏑馬の行事は14時〜、雨天中止
東洋町の野根八幡宮、春日神社宮大祭行事の1つとして、鎌倉時代に発祥したと言われている五穀豊穣を願う伝統行事。祭りでは東洋町の郷土料理「こけら寿司」の販売も行われる。

農民たちの祭り

 疾走する馬上から的に鏑矢(かぶらや)を射る「流鏑馬」は、日本の伝統的な騎射の儀式。馬を馳せながら矢を射ることから「矢馳せ馬(やばせうま)」と呼ばれていたことが名前の由来とされている。古くは、農耕馬と共に生きる農民にとって、五穀豊穣を願う年に一度の大切な行事であったと伝えられており、当時の子ども達は、目を輝かせながら毎年この日を楽しみに待っていたという。そんな村をあげての大祭ゆえに、当日に走る「奉仕馬」は毎年候補馬を競わせて、走力・気性などを踏まえ優れた馬を選抜。奉仕馬がお宮入りする際に道を通るパレードも催され、祭りの3日前になると奉仕馬は乗り手と宮入りし、海に入って体を清め、お宮で食事をするという伝統行事も行われていた。

伝統を守るため

 疾走する馬上から騎手が矢を射るという、迫力満点の儀式だが、走りながら的を射抜くのは至難の業で、もちろん当たる確率は非常に低い。それでも、毎年「流鏑馬」を一目見ようと遠方より訪れるファンは多く、「この行事のために遠くから見にきてくれる人のことを思うと、どんなに苦労があっても頑張りたいと思う」と主催者の生田さんはこの祭りにかける想いと苦労話を聞かせてくれた。生きた馬を相手にするため安全面に十分な配慮が必要で主催者側の苦労も多く、後継者の不足により開催が途絶えていた時期もあった。それを今中心となって支えている生田さんは、的を射るのに使われる矢も自らが手掛けるなど、ひたすら地道に伝統を継承し続けている。「しっかり作っていないと射った時に矢が壊れて抜けてしまうので神経を使うんですよ」とその大変さを漏らしながらも、「自分が出来る限り続けたい」と語る。そんな生田さんの強い思いが次世代へと繋がることを願うばかりだ。


迫力満点の舞いをご覧あれ

津野山神楽

●高知県高岡郡梼原町川西路 三嶋神社 ●10月30日(水)
毎年秋の神祭が行われる2日目の30日に、五穀豊穣や無病息災を願って執り行われる津野山神楽は、国の重要無形民俗文化財にも指定。三嶋神社をはじめ、梼原町内の6つの地区で行われている。

千年以上前より 伝わる

 毎年10月30日、三嶋神社では年に一度の大祭で「津野山神楽」が行われる。起源や歴史は定かではないが、913年に藤原経高が津野山郷へ入国し、三嶋神社を勧請して守護神として祀られた頃より、神職によって歌い・舞い継がれてきたと言われている。日本が終戦を迎えた頃には、神楽修得者が減少し神楽の存続が危ぶまれたこともあったが、1948年、地元の人達の想いによって設立した津野山神楽保存会が継承。1980年には国の重要無形民俗文化財に指定され、現在も県内外より多くの人達が訪れ、賑わいを見せている。この津野山神楽、正式にすべて舞い納めるには、舞い始めの「宮入」から始まり全18演目、約8時間を要する大祭で、見応え、迫力共に満載。中でも、特に見所となるのは、生後1年未満の乳児が「大蛮」に抱かれ、乳児の無病息災を願う演目で、年間20組ほど乳児連れの家族が訪れ、今か今かとその時を待つ。

次世代へ繋げたい

 祭りが始まると、辺りはおごそかな雰囲気に包まれ、太鼓やすり鉦、笛で奏でるテンポの良いお囃子が聞こえる中、歴史を感じる上品な舞いが披露され、観るものを虜にさせる。津野山神楽保存会の事務局長・川上さんは「津野山神楽のお囃子は、太鼓の音が独特でリズムが良く、ジャズとセッションしても合うほどノリが良い」と自慢気に祭りの魅力を語る。そんな一方で、千年に及び継承されてきたこの大祭も、現役の神楽修得者が高齢になり、後継者不足の壁にぶつかっているという。「神楽を舞う若者を育てるためにも、まずは津野山神楽を見に来て、魅力を感じてもらいたい」。梼原町民が受け継いできた津野山神楽をこれからも守っていけるよう、川上さんらの活動は続く。