山中こずえさん 〜 すっぴんトーク 〜

 この地で生まれ育ち、天国へと旅立った父、そして母。2人が残してくれた農園には、無農薬の雑草の中でたくましく育つブドウがあった。両親の想いと自身の信念を胸に、土佐町の「小さな小さなワイナリー」で奮闘する女性の物語。 。

創業、試行錯誤、定着… そして迎えた転機

 1960年、高知県土佐町の三島地区からはじまった「ミシマファーム」。創業したのは今回の物語の主人公・山中こずえさんの実父である山中義雄さんで、静岡県から持ち帰ったブドウの苗を、自宅の裏山に植樹したのがはじまり。しかし当時はブドウの代表銘柄・巨峰ですら日本では珍しかった時代。ブドウ栽培は失敗の連続で、それでも全国を飛び回ってノウハウを習得し「地域のために」と試行錯誤を繰り返しながら栽培を続けた。そんな両親の苦労の甲斐もあって「ミシマファーム」は少しずつ町内外に認知を広め、地域に根付いて久しくなったのだが、あることをきっかけに様相が一変する。2008年に母・和子さんが亡くなり、そして2011年には父・義雄さんが他界…。農園を開墾し守り育ててきた2人がいなくなり、後を継ぐことになったのが三女のこずえさんだった。「実質2005年頃から農園のお世話ができなくなっていて、どうしたものかと途方に暮れていましたが、その中である不思議なことに気づいたんです」。

「約束事」を胸に 新たな活路を模索して

降水量が全国トップクラスの高知県。潤湿な気候はブドウ栽培に向いていないとされるが、それでも自然の力で育ち、実をつける。

 母・和子さんが病床についた頃から作業ができなくなっていた農園は、農薬が散布されることもなくなり、雑草も生え放題。しかしそんな状況でも毎年ブドウが実をつけることに気づいたこずえさん。「恐らく虫やミミズ、土着微生物が定着し始めてバイオサイクルが形成され、ブドウ自体も過酷な状況下で強くなったんだと思います」。雑草の中でもたくましく実をつけるブドウを見て、ちょうどこの頃に結婚したご主人の敏雄さんと2人で決めた約束事がある。「たとえ一粒もブドウが実らなくても、農薬を使うのはやめよう」。  そうしてご主人と共に無農薬栽培を本格的に始めたこずえさんだったが、ここからがまた苦労の連続だった。糖度18~23度の甘くて美味しいブドウがたわわに実る年もあれば、不作に終わる年もある。農薬を使用しないため生産が安定せず、おのずと価格も高騰し、ブドウが売れないのだ。それでも両親が守ってきたブドウは一粒たりとも無駄にしたくない…。そんな状況と農業の未来を憂う気持ちがあいまり、もっと魅力ある農業をと考えて辿り着いたのが6次産業。ワインづくりへの挑戦だった。

こずえさんのご主人・敏雄さんが、専用のモノサシでタンクの中身を測っている様子。この他にも毎日欠かさず行うチェック項目はたくさん!

両親、夫妻の思いが詰まった ファーストヴィンデージ

こずえさんの父・義雄さん。とにかく人望が厚く、万人に愛される人だったそう。大好きな煙草を短くくわえた「らしい」1枚。

 今から約5年前より動き始めたワインづくり。土佐町長や土佐町役場、商工会、高知県庁と多方面に働きかけた結果、2015年に土佐町が「ワイン特区」に認定。それから2017年6月には果実酒製造免許を取得してワイナリーを設立。2018年5月にはクラウドファンディングにより全国各地の300名から支援が集まり、そして秋からワインを醸造。山梨県から専門家を招きアドバイスを受けるなどし、遂にこの冬出荷まで辿り着いた。両親と山中さん夫妻の想いが詰まったファーストヴィンデージは、「小さな小さなワイナリー」が手がける処女作だけに数にかなりの限りがあるため、口にできたら超ラッキー。しかし、すでに来年以降を見据えて新しいブドウの木を19種・1000本植え、未来に向けて動きはじめている。  最後に、こんなステキな夢を語ってくれた。「敷地内にあるイチョウの木にツリーハウスを造りたいんです。ちょうど醸造場の上になる位置でブドウ畑も見えるはず。父と母が残してくれたこの場所を、たくさんの方に見てもらいたいんです」。


FM高知で毎週金曜放送中のラジオ「MYスタイル すっぴんトーク」に出演した際のスタジオの様子。 こずえさんの出演回は、12/28、1/4の2週に渡ってオンエア。