土佐和紙に恋して移住して

土佐和紙の故郷・高知には、遥か遠方より移住をしてまで 紙を漉く人がいる。そこまで人を魅了する土佐和紙の魅力とは…。 彼らが高知で和紙を漉く意味とは…。 土佐和紙に恋して移住した男達の足跡をたどる。

海を越えてやってきた紙漉き職人 「土佐和紙の素晴らしさを今一度!」

「高知は和紙の原料の一大産地だし、技術も素晴らしい。人ももちろんいいですね」とロギールさん。日本にやってきて約40年。すっかり流暢になった日本語を操りながら、土佐和紙、そして高知について語ってくれた。故郷のオランダでデザインと製本の仕事をする中、たまたま手にした和紙の素材感に惹かれて1980年に来日。全国を回りながら、その魅力にますますのめり込み、日本への、さらには「和紙のメッカ」である高知への移住を決意した。当初はいの町に居を構え、地元や土佐市で和紙の修行を積んでいたが、「より歴史や伝統、自然に囲まれながら紙漉きや作品作りを」と、92年より梼原町へ。その後2006年に「かみこや」をオープンし、自ら紙漉きや作品を発表するだけでなく、国内外から紙漉きの体験希望者を受け入れて、和紙の魅力を伝えている。「土佐和紙は高知の宝。そのことを皆さんに再認識して欲しい!」。海外からやってきた職人の奮闘は続く。


数奇な運命が紡いだ土佐清水移住 「一生かけてここで作品作りを」

「染色に使っていた和紙の中にいの町の職人さんのものがあった」ことをきっかけに、2001年から土佐清水市にある現在の住処へ移住した小高さん。「たまたま住み始めた家だけど、周りには和紙の原料となる楮(こうぞ)が自生していたり、すぐそばの川の水が墨流しをするのにすごく良くて。ここに来たのは必然なのかもしれない」と、2005年頃より作品に使う紙を自ら漉くようになったという。家族や親類の影響で幼少の頃から、ろうけつ染めや油絵などに触れてきた中、本格的に作品を作り出したのは25歳の頃。前職の関係で海外へ赴いた際に、試しに布や和紙を染めた作品を発表してみたところ、思わぬ反響を呼んだ。水面に染料を流して模様を作り、それを和紙で写し取る。そんな「墨流し」は、いつしか作品のメインとなり、最近では紙漉きはおろか、それに使う道具作りにも挑んでいるという。全ては「一生かけて作品を作り続けたいから」こそ。安住の地を見つけたアーティストの作品は、輝きを増すばかり。