つないでつむいで 県史編さん室

高知県史(自治体史)とは?

高知県について伝え残されたさまざまな資料を調査し、本県の歴史を詳細に記したもの。郷土の歴史を知る、大切な手がかりだ。

梼原町四万川の竜王宮(海津見神社)

愛媛県西予市大野ヶ原の 小松ヶ池

蛇になった娘が入ったという 空池。地元の方の案内で山中を 進み、たどり着くことができた。

土佐の自然と民話

高知県は各地にさまざまな民話が伝承されている。それらの中には、海、川、山など、豊かな自然環境を背景としたものも多い。今回は淵や池を舞台とした大蛇にまつわる伝説について紹介する。

令和7年5月、梼原町から県境を越えた愛媛県西予市野村町大野ヶ原で、県史民俗編に向けた調査を実施した。四国カルストに位置するこの地にある「小松ヶ池」は、高知県の民話のなかに度々登場する。

その話とは、昔、枡を不正に使用した商人の娘が、親の因果で蛇性の身となり、住処とする淵を求めて旅をするという内容である。県下の広い範囲に分布するよく知られた伝説で、四国の伝説を分類した『日本伝説大系』12巻では「秤屋(はかりや)の娘」というタイトルで紹介されている。

多くの場合、娘は訪ねた先の淵や池に棲み着いて、そこのヌシになるという結末で終わるが、県西部の伝承では、県境を越えた大野ヶ原の「小松ヶ池」のヌシになったと語られることが多い。

高知の清流と 大蛇の伝承

この伝説では、道すがら娘が立ち寄った淵や、一夜の宿を乞う農家での奇談が、具体的な地名を伴ってまことしやかに語られる場合がある。安田町の伝承では、城下からやってきたのは姉妹だった。妹は安田川をさかのぼって瀬切の釜ケ淵のヌシになり、姉は讃岐まで行って満濃池のヌシになったという。

梼原町の伝承では、旅の途中、農家に泊めてもらった娘は、楮(こうぞ)や三椏(みつまた)を蒸すむし桶の中で寝たと語られる。娘はその後、四万川の龍王さま(海津見神社)の近くの池(空池)に入り、うわさを聞いて、城下からやってきた母親と再会する。しかし、最後は小松ケ池に移りヌシになったと伝えている。

今回は伝説「秤屋の娘」を紹介したが、ほかにも、高知の山間を流れる清流を舞台に、大蛇に関する物語が数多く語り伝えられている。私たちの生まれた地域や住んでいる土地にはどのような物語が伝わっているのだろうか。今一度見つめ直してみると、思わぬ発見があるかもしれない。


史料が語るもの語 第14回

豊永郷民族資料館

考古学の世界では、遺跡から出土した様々な遺物や遺構から、過去の人々の生活や彼らの持っていた技術などを研究している。今回、高知県で見つかるのはかなり珍しい希少な遺物について紹介する。

縄文時代の 特級 〟石器

石棒は、縄文時代の中頃から後半にかけて、東日本で広く見られる棒状の石器だ。西日本では東日本に比べて数が少なく、特に高知県では希少な石器と言えるが、この石器が仁淀川町池川の2つの遺跡から出土している。  特に成川遺跡から出土したものは欠けているところが無く、長さは約35センチで、すりこぎのような形をしている。  この石器は、お祭りや儀式の際に用いられたと考えられており、山や川からの豊富な恵みや子孫繁栄、そして病気や災いに見舞われないことを願ったのかもしれない。つまり、生活の場での実用的な道具ではなく、精神的なシンボルとしての役割が大きかったのだろう。この石器は、当時の人々の信仰や世界観を知る上で重要な手がかりと言える。

成川遺跡・石棒(表)

成川遺跡・石棒(裏)