憧れのバトン「元組合長×現組合長」

作る人、伝える人、つなぐ人、遺す人… ここ高知で、そんな仕事や活動をしている人と その人がリスペクトする人にスポットを当て 2人の関係性、双方の思い、そしてこれからのことなど 胸に秘めたる熱い思いをひもといていく

馬路村の未来の為に これからも挑戦し続ける

令和7年3月、38歳という若さで馬路村農協の組合長に就任した長野さん。彼が馬路村に移り住んだのは16年前。「やりがいのある仕事に挑戦し、自分の価値を見出したい」。

そう考えていた長野さんは、全国的に注目されていた馬路村の取り組みに魅力を感じ、「ここで働きたい」と飛び込んだという。着任後は、当時組合長だった東谷さんと共に、パンフレットデザインや広報活動、リキュール商品の開発など、多彩なプロジェクトに奔走。

村民からは息子のように可愛がられ、長野さん自身の馬路村愛も深まっていった。次期組合長への立候補時には「若すぎる」という声も上がったが、東谷さんの「決めたからにはやり抜け。その気持ちは曲げるな」という言葉が背中を押した。「若いからこそできることがある」と信じ、挑戦を続けた。

組合長に就任して数か月。長野さんは「東谷さんが築いた土台を大切にしながら、次は村の福祉や教育といった課題にも取り組んでいきたい」と語る。受け継いだバトンをしっかりと握りしめ、馬路村の新たな未来を力強く切り開いている。

組合長になってからも現場に足を運び、ゆずの品質をチェック。村内のゆず畑を借り、農業にも奮闘中。

ぽん酢しょうゆ「ゆずの村」と「ごっくん馬路村」は、シンガポールや東南アジアに輸出され、海外でも評判を得ている。

挑戦の姿勢は見せてきた あとは自分を信じて突き進め

ゆずを使った数々のヒット商品を生み出し、馬路村の名を全国区に押し上げた東谷さん。入組当時は年商5000万円にも満たなかった農協の売上は、組合長に就任した平成18年には30億円を超え、その手腕は瞬く間に広く知られるようになった。

長野さんと出会ったのは平成21年。採用面接で「馬路村の一員になりたいです」と熱意を語る長野さんの姿に、東谷さんは「この人は村の未来を担う存在になる」と直感したという。採用後は、ゆず製品の可能性を広げる数々のプロジェクトを通して思いや姿勢を伝え、「無理だと言われても挑戦し続けること」という信念を継承していった。

令和4年に東谷さんが農協を退組し、令和7年に北岡前組合長の退組が決まった際、長野さんから「組合長に立候補したい」と相談を持ちかけられた。突然の申し出に驚きつつも、挑戦への強い意欲を感じ取った東谷さんは「やってみいや」と背中を押したという。「桃太は現状を見る力と挑戦する力のバランスが取れちゅう。自分を信じて進んでほしい」と、未来を託している。

東谷さんが組合長となった年に「ゆずの森加工場」が完成。退任後は山の中で稼いでいくにはどうすれば良いかを考え、有機ゆず栽培、自伐型林業、木工品加工などに挑戦を続けている。

「東谷さんに頼るのは最終手段」と奮闘する長野さん。「桃太には自分で道を切り開く力がある」と東谷さんも応援している。