つないでつむいで 県史編さん室

高知県史(自治体史)とは?

高知県について伝え残されたさまざまな資料を調査し、本県の歴史を詳細に記したもの。郷土の歴史を知る、大切な手がかりだ。

「海南」の伝統を受け継ぐ 学校資料

学校にある文書類、教材教具、写真や動画、児童生徒の作品、部活動やPTA活動の記録などが「歴史資料」と聞けば驚かれる方もいるのではないだろうか。最初に紹介する高知小津高校には、幾多の校名変遷や校地の移転、戦災などを乗り越えた古い学校資料が保管されている。その歴史は、明治6(1873)年、旧藩主山内家が東京の旧藩邸内に創立した海南私塾にはじまる。校友会室に残る資料群をひもとくと、大正から昭和初年の県立中学海南学校(海南中学)の規程、学校予算に関係する書類、同窓会関係の資料、山内家との交流を示す文書などを確認できる。また、現在高知小津高校が所在する城北町で創立され、昭和7(1932)年海南中学に吸収合併される形でその校名が消えた旧制城北中学校の資料が含まれていることは注目される。同校資料の調査から、本県の近代教育史の一分野が形作られてゆく。

高知小津高校の開成門
校友会室に残されていた学校資料
撮影と目録作成を行い、中性紙保存箱に入れて返却
資料レスキューの様子
廃校に残されていた学校資料
レスキューされた 廃校の資料

学校資料は近年、学校や地域の歴史をつたえる資料として注目されるようになり、県内でも保存や活用の動きが高まっている。  土佐清水市では、平成初めに廃校になった小学校舎で発見された大量の資料を令和2年に保存・整理し、旧中浜小学校に保管している。貝殻をベニヤ板に貼って校章を模した卒業記念パネル、地域で採取して作製された魚類や昆虫の標本といった珍しい資料とともに、明治以来の学校日誌、学校行事の記録、文集、地域だよりなど、貴重な文書類が残されていた。  県民のくらしを軸に戦後高知の歴史をつづろうとしている現代部会では、旧中浜小学校の文書類を調査し、当時の子どもたちの学びや活動、保護者や地域住民の生業(なりわい)などを掘り起こし、高知県の教育や県西部の現代的特徴を捉えようとしている。  新たな県史では、県内に残る学校資料にも光を当て、地域の教育やくらしを描き出す。

第十回 四万十町郷土資料館
史料が語るもの語

清流・四万十川。その上流域にあたる四万十町大正には、町の郷土資料館が建っている。そこでは、林業や漁業などの民具の他、縄文人や弥生人が残した考古資料が展示されている。

江師遺跡より出土した、瀬戸内地域の特徴を持つ縄文時代前期の土器。

土鍋の縁のように粘土紐を貼り付け、その上下に連続して刺した文様を施している。  

瀬戸内地域と関わりのあった 江師(えし)遺跡

江師遺跡は、四万十川の支流である梼原川の右岸、四万十町江師に所在する縄文時代と弥生時代の豊富な生活道具が出土した遺跡である。  それらの中でも、写真の土器は大変興味深く、口からやや下がったところに土鍋の縁のように粘土紐を貼り付け、それを挟むように直線状に連続して刺した文様を施している。  この土器は、瀬戸内地域の縄文前期(約7000年前)に見られる土器とよく似ているが、県内の他の地域では出土していない。よって、この地域の個性を示す資料と言える。  高知県史考古編は、地域の個性に光を当てることを意識して、編さんを進めていく計画だ。

四万十町郷土資料館 (四万十町)