「無いなら作ってしまおう!」。高知のカルチャーにヒントを得て生まれた、特設の映画館。 多くの人を動かし、多くの人の心にも刻まれた、あの時の出来事を振り返る。
特設劇場の建設中に撮影された1枚。城西公園の北側にあるステージにスクリーンを設置し、約150席の椅子を並べた。
高知らしいカルチャーと たくさんの高知人が背中を押した
特設劇場の伝説
平成26年に公開された安藤桃子監督の映画作品「0.5ミリ」。主演は妹の安藤サクラさん、撮影は全て高知県内で行われ、監督自身も高知に移住するきっかけになったという、まさに伝説的な作品だが、その封切りもまた、高知の映画史の記憶に残るものだった。当初は、平成16年に閉館した映画館「高知東映」を「0.5ミリ」のロードショーのために復活させる予定で、高知新聞を始め、地元メディアでも報じられていたが、なんと公開直前になって建物が使用できなくなり、一転して白紙になってしまったのだ。「当時はもう愕然としちゃって。頭を抱えて涙を流したけど、でも、ひとしきりへこんだら、パッとアイディアが浮かんできたんです」。監督の思いが向かったのは、高知市の繁華街に並ぶ屋台や日曜市の風景。「普段は何もないところに、お店や市場が出現して、みんなで賑やかになる。そんな高知に根付いたストリートカルチャーがヒントになったんです」。
全国に先駆けて特設劇場で公開された「0.5ミリ」。エグゼクティブ・プロデューサーの奥田瑛二さん、安藤監督、津川雅彦さんが舞台挨拶を行った。
「この10年を振り返ると
全ての要素が「今」につながっていたんだなと思えるんです。」
ビジネスではなく、「一緒にやろう!」
安藤監督を支えた高知人たち
映画のロケハンで、高知の街をくまなく歩いていた安藤監督。高知城にほど近い城西公園に、野外ステージを備えた広場があることも知っていた。「ここに特設劇場を作れないかな、と。会場はサーカスのテントみたいなものがいい!もしテントさえ張れなかったとしても、パイプ椅子を並べるだけでもいい。だって、一番肝心な映画はあるんだから!」と気持ちを奮い立たせたそう。やがて、公園を管理する高知市と共催が決定。さらに、撮影当時から支援があった「和(かのう)建設」の中澤社長を中心に、たくさんの地元有志が実現に向けて動き始めた。劇場は、土佐市の地元企業「関西仮設」が特許工法「簡易屋根トラス」で設営。スクリーンやシネマシートも、「高知東映」で使われていたものを運び込んだ。そして迎えた公開日。「0.5ミリ」は大盛況で迎えられ、最終的には、当初の予定を上まわる2ヶ月のロングラン上映で、多くの人が特設劇場に足を運んだのだった。
映画を告知するポスターやのぼりが立てられた城西公園周辺。昼夜ともに人の往来が増え、賑やかな雰囲気に包まれていた。
平成29年から約1年間の期間限定であった映画館「キネマM」の後にできた、常設の映画館「キネマミュージアム」。テーマは「想像と創造」。
座席数は64席。椅子を取り外してイベント会場にすることもできる。土佐漆喰の壁や高知県産の木を使うなど、館内にはこだわりが随所に。
文化と生活をつなぐ劇場
高知の皆さんと一緒に「高知の元気の源」に
「何があっても不可能じゃない、高知から世界が変わるって確信できた」と振り返る安藤監督。令和5年には、高知市の商店街「おびさんロード」に、満を持して「キネマミュージアム」をオープンさせた。住民が暮らすマンションの一階にある劇場には、「文化と生活が一体であってほしい」という監督の思いも。文化の拠点として、なにより子どもたちが交流し合い、感性が磨かれる場所になればと話す。「あの時の特設劇場が、今はこうして常設の劇場になっています。キネマミュージアムを高知の街に根付かせていきたい。高知の皆さんと一緒に、高知の元気の源にしていけたら」と、安藤監督は意気込んでいる。