仁淀川とともに歩んできた住人のものがたり「暮らしの記憶」〜市川共江さん〜

林業から観光へ
変化する川の暮らし

市川さんが仁淀川町(旧池川町)に嫁いだのは昭和32年のこと。当時、和紙の原材料であるコウゾとミツマタの栽培や林業が盛んだった池川町は、商売人が行き交っていた。
 
町内には商店が立ち並び、市川さん一家が営む「お料理 いち川」もまた、昼夜を問わず大忙し。商談が決まった商人らの大宴会の準備に追われ、宴会場のテーブルに掛ける大きなテーブルクロスを「タライに収まりきらないから」と、川で洗濯することも。
  
 
民宿の前を流れる土居川には、川に飛び込む子どもたちや、川釣りを楽しむ町民の姿があった。「昔は淵があってもっと深かった。ウナギもおったし、蛍の乱舞も見事やった」と市川さんはここでの暮らしを振り返る。一方で、40年前の台風では「建物の2階に迫るほど水が上がってきた」と苦労話も聞かせてくれた。
 
 
25年前、常連さんの要望もあり「お料理 いち川」は「民宿 いち川」へ。お客さんは商売人から観光客や釣り客へと変化。当時8000人余りいた人口は2000人代まで減少し、川から町民の姿が減った代わりに、県内外からわざわざ訪れる人たちが増えた。
 
今も変わらず多くの人をここで出迎える市川さん。「100人中100人が『川がきれい』と仰ってくれますよ」と話すその表情は誇らしげだ。
 
 
透き通った川を眺めながらくつろげるとあって、人気のお部屋。窓を開けると心地良い風が入ってくる。夕食にはウナギの白焼き、稚鮎や山菜の天ぷらなど料亭の味が楽しめる。