子どもたちの健やかな成長を願って 人形を飾る、日本古来の節句文化。
幼い頃に人形を飾って祝ってもらった思い出は、大人に なり祝う側になった時にこそ、鮮やかによみがえるもの。
代々五節句を重んじて…
受け継がれてゆく節句文化と家族の絆
「人形が災いを受けてくれるおかげで子どもが健やかに成長する。それが節句に人形を飾る元来の意味なんです」、そう言って自身の人形を見せてくれたのは、近森人形の三代目を務める近森範久さん。物心付いた頃から季節行事として日本に根を下ろす「七草・桃・端午・七夕・菊」の五節句を祝い、端午の節句には毎年人形を飾り、しょうぶ湯に入って体を清めて、ちまきを食べ厄を払う、そんな伝統的なお家で育った。「私が県外の大学に進学して家にいない間も、端午の節句には毎年欠かさず人形を飾ってくれていたんです。大人になってふと振り返った時に、そのありがたみをしみじみと感じました。気付けば、自分がしてもらったことを子どもたちが好む好まざるに関わらず、してあげたいと思うようになっていたんですよね。そして、そう思っている自分を見た時に、やはり節目折り目に家族で節句を祝うことは大切だと、改めて感じました」。自身の経験を胸に、息子さんにも幼い頃から節句の持つ意味を伝えてきたという近森さん。そんな近森さんの家庭ではいつの頃からか、クラブの試合など勝負の前になると、息子さんが「人形を飾ってほしい」とお願いしてくるようになっていたという。
親戚、近所で盛大に!
子どもの健やかな成長を願って…
宮中の結婚式を模したひな人形には、天皇皇后両陛下のような幸せな結婚ができますように…、そんな願いが込められ、嫁入り道具の一つとして嫁ぐ家が用意する。そんな日本古来の習わしを親から受け継ぎ、子へ孫へと伝える大野文子さん。娘さんの初節句に母親からもらったひな人形は、娘さんが二十歳になるまで、健やかな成長を願って飾り続けた。「私は終戦直後の生まれで、お節句どころじゃなかったから、子どもや孫のお節句は盛大に祝ってあげたくてね。娘の初節句は母親に七段飾りを用意してもらい、親戚やご近所さんが50人以上もお祝いに来てくれてね。嫁入り道具ほどたくさんお祝いの品を頂いて、今でも思い出とともに大切にしています」。初節句にはのぼりや飾り人形などを親戚の間で贈り合っては、そのたびにおきゃくをして、子どもたちの無事な成長を願うという大野さん一族。「節句の贈り物が届いたらおきゃくを開いて招待するのが務めですから」と、薄れゆく昔ながらの行事を今でも重んじる。「節分がすぎ満ち潮に向かう大安のようなお日柄の良い日に、ひな人形を飾るといいんですよ。そして、ひな祭りが終わったら婚期が遅れないように早くしまう」、そんな習わしも大切にしていると教えてくれた。
土佐の伝統節句「嫁節句」
「白髪になるまで末永く、仲むつまじい夫婦であってほしい」との思いを込めて、高知では昔からよく行われてきた嫁節句。体験者が語る当時の記憶、つないでいきたい思いとは。
結婚して最初の桃の節句のお祝いに行われる「嫁節句」。「夫婦仲良く共に白髪のできるまで」との思いを込めて、長寿と夫婦円満の縁起物である高砂人形を贈り夫婦の門出を祝うというもの。そんな高知で見られる風習を実際に体験したのが、安芸市で創業173年の老舗「ギフトのさとう」の七代目の妻・佐藤倫与さん。夫の恵一さんと結婚したのは平成21年で、その翌年の3月に安芸市で嫁節句が行われた。「結婚するまでこの風習のことは全く知らなかったのですが、日本文化を大事にするところへお嫁に来たんだと実感しました」。嫁節句には、倫与さんの両親、兄弟らの家族、恵一さん側の家族や親戚ら20人ほどで宴席の場を持った。結婚式から半年もたっていない時だったが、両家がゆっくり膝を突き合わせて話ができる機会となり、改めて「本当にやって良かった」と振り返る。「いろんな事があった10年を経て、白髪のお人形にもだんだんと愛着が湧いてきました。今でも時々、嫁節句の内祝いにとご注文を頂くことがありますが、私はもちろん自分の息子が結婚する時にはしてあげたいし、その次、またその次と、この風習と思いがつながっていけばいいなと思います」。
家族や親戚が見守る中、あいさつをする佐藤恵一さん・倫与さんご夫妻。当時贈られた高砂人形は今は「ギフトのさとう」店頭に飾られている。