「祖母が守ってきた果樹園を残したい」。中学生の頃に抱いた思いは大人になるまで途絶えることはなく、24歳の若さでそこの主人となった。若者ならではの発想と行動力、そして何より果樹に対する誠実な気持ちを持って、新しい道を切り開こうとしている、1人の青年の物語。
祖母が1人で守っていた果樹園 いずれは自分が、と決意
安芸市にある「大北果樹園」は、文旦をメインにゆずやその他の柑橘を栽培する果樹園。園地は安芸の街並みを見下ろす高台や、尾川地区など市内に点在し、総面積は約1.4ヘクタール。その全てをほぼ1人で管理しているのが26歳の若さで果樹園の代表を務める大北和さんだ。元々「大北果樹園」は、今から約50年前に大北さんの曽祖父と祖父が開いたもので、ほんの2年前まではJA出荷と親戚や知り合いに個人販売するだけの名前もついていない果樹園だった。大北さんが将来について考えるようになったのは中学生の頃のこと。きっかけは、農園を1人で切り盛りする祖母の姿をいつも見てきたことにあった。「早くに祖父が亡くなって、農園を継いだのは祖母でした。それまで経験もなかったのに一生懸命働いて、1人で農園を守ろうと踏ん張ってました。でも、このままではいつか必ず農園はなくなってしまう…。そうはしたくない、それだったら僕が引き継ごうと思い、農業の道に進むことを決めました」。それから高知農業高校を経て東京農業大学に進学。その在学中に「文旦づくりのプロ」に出会うことになる。
文旦づくりのプロに習った 何事にも誠実に向き合う姿勢
高校、大学と、果樹について学んできた大北さんだったが、卒論を書くに当たって実家ではない別の文旦農家で勉強する必要があった。いろいろ調べるうちにたどり着いたのが、土佐市の「白木果樹園」。県内はもちろん全国にファンを持つ、高知でも指折りの文旦農家だ。そしてインターンシップと夏季休暇を利用して在学中に二度、白木さんの果樹園で実践経験を積んだ後、卒業後の進路を考える時期に。実家の果樹園を継ぐ前にもう一度、県外か海外で経験を積みたいと思っていたものの「1年を通して勉強してみてからでもいいんじゃないか」と白木さんからアドバイスを受けたこともあり、卒業後は研修生というかたちで「白木果樹園」へ。栽培のノウハウにはじまり、最も忙しい収穫時期など、体に叩き込むように覚えたこともたくさんあったが、もう一つとても大切なことを学んだ。「白木さんは、お客さんに対してすごく丁寧なんです。DMを送ったり瓦版を作ったり。それを栽培や営業と並行しながらやっているから本当にすごい。それでいて全てに対して誠実なんです。物事を相対的に見て、コツコツと積み上げていくことの大切さを教えていただきました」。そうして2年半の期間を経て、実家の果樹園を継ぐため安芸市に帰ることに。まだ24歳という若さだった。
歴史を守り継承しつつ 新たな道も切り開いて
大北さんが帰ってくるとともに改めてその名が付けられたため、「大北果樹園」としての歴史はまだ2年ほど。それでも、今日まで受け継がれてきた長い歴史は確かにある。「文旦ってどんな味がするんやろう?ってひいおじいさん達が植えた木に実がなり、それを今僕が採っている。隔世的でロマンを感じるんです。僕も子どもや孫へしっかり受け継いでいきたい」。今でも「良きパートナー」という祖母の栽培方法や味を守りつつ、自分らしさをプラスしてこの2年間新たなことにも取り組んできた。中でも日曜市への参加は大きな転機に。県内の料理人と出会ったり、県外の方に知ってもらうきっかけになったり、日曜市を通じてつながった縁がどんどん広がっているのだそう。今後は、年間を通じてお客さんに楽しんでもらえる仕掛けづくりや、高知で活躍する人とタッグを組んだイベントの企画など、チャレンジ精神はとどまるところを知らない。「高知で育まれた土佐文旦の味や歴史を伝えていける人になりたい。そしてゆくゆくは海を越え、世界中の人に味わってもらえたら嬉しいです」。若者ならではの発想と行動力を持って突き進んでいる大北さんなら、きっと夢を叶えることだろう。
FM高知で毎週金曜放送中の番組「プライムトーク」に出演した際のスタジオの様子。大北さんの出演回は10月2日、9日の2回にわたってオンエア。