痛みに耐え自身の身の上をさらけ出してまで 作家らは筆を執り作品を描き続けた
男性社会において女性の価値が問われた時代、男勝りに描くことに生涯を捧げた女性がいた。歴史に残る人気作家・宮尾登美子は、描くことをこう書き記している。「人の心を打つ作品を生むには自分自身血を流し、痛みに耐えながらその姿を人前にさらす勇気がなくてはならぬ」。
はちきん作家が一世を風靡
〜生涯を執筆活動に捧げた女性達〜
「女性は女性らしく」と言われ女性が表に出られなかった古き時代は流れ、虎視眈々と力を蓄えていた女性らが、次々と躍進した昭和の時代。それまで男性主体だった出版界に、男女対等な評価を求める女性らが「女流文学者賞」を創設、文学シーンに新たな風を吹かせた。それにもれず、高知のはちきん作家らも出版界に台頭。作家自身の身の上をさらけ出してまでも、自分の筆1本で生きていくという心意気を感じさせる、女性作家の活躍が目立った。 その先陣を切ったのが、男性に負けじと社会的問題を取り上げ、男女対等のスタンスを貫いた作家・小山いと子だ。有名な「ダム・サイト論争」では、男性作家を相手に一歩も引かず、女性の芯の強さを見せつけた。彼女にとって筆を執ることは、威圧的な父親や夫に対する反発でもあった。 本山町にある「大原富枝文学館」の存在でも知られる大原富枝は、結核と共に生きた作家。療養生活の中で筆を執り、「書くことは生きること」と生涯を執筆活動に捧げた。また、自身のベストセラー作品「婉という女」において、「作家はいつの時代、いかなる人物に素材を借りても、結局は自分を描くことしかできないものなのだ」と言葉を残している。大原が描いた時代や運命に翻弄されながらも生きるヒロインの姿は、彼女自身だったと言えよう。 その活躍が記憶に新しい作家と言えば、宮尾登美子だろう。昭和37年に女流新人賞を受賞した後、不遇の時代を経て開花、太宰治賞、女流文学賞、直木賞など、数多くの文学賞を受賞。作品に描かれたヒロインの多くは、明治・大正・昭和と、日本の古い伝統に抑圧されながらも耐えて生きた女性。作品「櫂」では、母を主人公とし、芸妓や娼妓の紹介業を営む家に生まれた自分の出生について余すことなく綴っている。当時の風景や風俗の細やかな描写が筆1本で表現されており、物語の中の情景があざやかに脳裏に浮かび上がる。また、下火になっていた東映映画に新たな流れを作った「鬼龍院花子の生涯」や、大河ドラマ「篤姫」の原作として知られる「天璋院篤姫」は小説に端を発し、舞台・映画・テレビへと、時代を超え観るものを惹きつけて止まない。 学芸員の岡本さんは彼女の作品をこう語る。「昭和の圧倒的な男性社会の中で、若い女性が当たり前に売り買いされていた戦前の生々しい情景や、男性に支配された家庭で抑圧されてつかえる女性の生き様を描いた宮尾さんの作品から感じることは、目に見える強さを表現することはなくとも、芯に強さを秘めた女性のあり方です。戦前の高知の風景や風俗についての情景描写から読み取れる戦前戦後日本の物語に、読むほどに胸がしめつけられます」。
【代表作家 in昭和】
大原富枝(おおはらとみえ)
女が生きることを時代や社会問題にまで迫って描写。女性の豊かな情感と社会的視点が高く評価されている。
小山いと子(こやまいとこ)
綿密な調査に基づくスケールの大きい作風が特徴。女性の生き方を正面からヒューマニズム豊かに描いている。
宮尾登美子(みやおとみこ)
日本的風土や古いしきたりの中で生きる女性の姿などを描き続けた。その多くの作品が映画化・舞台化されている。