特集 よさこい祭りは冬、はじまる!

真夏のよさこい熱が冷めないうちに、早くも翌年のテーマ、曲や衣装の構想が立ち上がる。ことさら衣装は、踊り子の気分を盛り上げ、観客の目を引く大事な要素。その準備は念入りに、そして着々と進む。自由で多彩な土佐っこの心意気は最も〝衣〟に現れる!!

 2017年10月初旬、ドリームカンパニーのデザイナー、伊与田梓さん(35)は、よさこいチーム「十人十彩(じゅうにんといろ)」のメンバーと来年の衣装について打ち合わせをはじめていた。「夏の本番を振り返って、ここのチームの衣装が良かったとか、どんな色がいいとか、すでにかなり構想が膨らんでいるんです」。基本となる和調の形はあるが、基調とする色合いや生地の質感、帯の形など要望を聞き取り、年内にはデザイン画にして提案する予定だ。

多彩な衣装で花盛り

【写真】濱長花神楽で踊る能㔟さん(2016年) 

よさこい祭りは、自由な祭り。鳴子を鳴らしながら前進、「よさこい鳴子踊り」の楽曲を使用、地方車(じかたしゃ)といった3つの最小限のルールはあるものの、衣装についての決まりはない。一見和風の着物スタイルでも、色使いや柄もお好みで、裏表で模様を変えたり、早変わり風の仕掛けをしたり。異国情緒漂うコスチュームに流行のアイテムを追加して、かぶり物も、小道具も、何でも来い! 一糸乱れぬ全体美を誇る踊り、一人ひとりに目をやればヘアスタイルやメイクにいたるまで個性が滲(にじ)む。踊り子は日常を離れて思いっきり自分を表現する。
 能㔟(のせ)優華さん(21)は、大学1年生の夏、テレビで放送された「濱長花神楽(はまちょうはなかぐら)」の衣装を見て、心を奪われた。「今まで絶対に身につけたことのない衣装。一生で一度は着てみたい!」。普段はファッション誌で紹介される洋服に加えてフリマアプリなどで気に入ったアイテムを手に入れるが、どちらかというと控えめで人とかぶらないことに気を遣う。「衣装を纏(まと)ってメイクをして鏡を見ると、まるで別人。苦手だった人前で踊ることや写真を撮られることも気にならず、むしろ〝私を見て!〟って解放的な気分になる」。
 さらに、衣装で動かされた人もいる。芳村百里香さん(30)は、学生時代に憧れの「十人十彩」で踊ったことをきっかけに、県外から移住した。「私にとってチームは人気のアイドルグループで、衣装はそのチームの象徴。初めて衣装を手にしたときは本当にうれしいし、身につけると気が引き締まる。宝物なんです」。移住してからもよさこいを続け、去年からはインストラクターを務め、踊り子を支える立場になった。「今年の衣装は帯がリボン型ですごくかわいくて、それでいて桜模様の白襟はゴージャス。発表の時は踊り子から〝わっ〟と歓声があがりました」。
 好みのチームや衣装で踊ることで個性を解放させ、自由を満喫する。よさこいの衣装は若者の心を捉えて離さない。

よさこいの「衣」の歴史

【写真】北村文和さんは、よさこい祭りの衣装を手掛けて64年。 今もチームの代表者が着用する「責任者法被」を染めている。 

よさこい祭りの歴史をみると、実に変化に富んでいる。1954年の第1回は、お座敷踊りの流れを汲み、衣装は浴衣(ゆかた)が中心。やがて、法被(はっぴ)スタイルが誕生した。当初から衣装を手掛けてきた北村染工場の北村文和さん(85)は、「初めて海外でよさこい鳴子踊りを披露したニース・カーニバルが転機」と振り返る。この時、正調「よさこい鳴子踊り」を作曲した武政英策さんは「もっと自由にアレンジしてほしい」と自らサンバ調に編曲した。そして昭和40年代にはロック調も生まれる。
 曲が変わると、振りや衣装に影響。次々とアレンジを加えたチームが続出した。昭和50年代は若者向けのブティックや居酒屋が参入し、企業チームや、クラブチームと呼ばれる愛好者のグループも誕生し、衣装に変化が起こる。

北村さん作の法被。フランスでは、国旗のトリコロールをピンク系でやさしく表現し、袖にはストライプ模様をあしらった。ドイツでは、踊ると国旗の3色が駒のようにみえるようなデザイン。

 第1回から競演場の運営と「帯屋町筋(おびやまちすじ)」チームで出場する帯屋町商店街は、〝おらが祭り〟の意識が強い。振りも衣装も最も高知らしく、伝統重視の傾向があった。昭和の終わり、帯屋町の若い衆は新しいチーム「無国籍」の立ち上げを準備していた。「親世代とは違う新しいチームを作りたい。そのためには、法被と半ズボンではなく、新しい衣装で変化をリードしたい」。この相談を受けたのが、帯屋町のデパートやブティックで洋服の補正を請け負っていた当時30代の伊与田修さん(65)。法被や短パンから、腹かけや股ひきなど変わった形の衣装へ、生地や縫製のアドバイスをした。
 目立ってナンボのよさこい祭りの衣装。資金が潤沢な企業チームも参入して、衣装への要求はますます高まる。伊与田さんの元には衣装のアイデアがどんどん持ち込まれた。1990年の「新阪急ひよしや」チームは、「青と藤色に染めた法被の背中にキラッキラのシルバーラインを入れたい」。そのデザインを見ると、当時のプリント技術では大きさの限界を超えている。染め上げた法被に、手作業で何百枚もラメのプリントを施した。苦労が実り、衣装の斬新さが評価され会長賞を受賞した。
 参加チームは年々右肩あがりで伸び、次第に衣装合戦はヒートアップ。「衣装はもっと自由に、おもしろくなる」。伊与田さんは直感した。

よさこい衣装を産業に

【写真】南国縫製の寺田さん夫妻。「踊り子さんにとっては代え難い1枚。 丁寧な縫製や仕上げを心がけています」 

複雑な衣装をデザインしても、最後には忠実に再現する縫製が拠り所となる。伊与田さんは精一杯、知恵と技術を駆使してサンプルを作り、高知県内の縫製工場を回る。しかし、「こんなもん縫うたことない」と、断られっぱなしだった。
 背景には衣料産業の置かれた状況があった。かつて商店街は呉服屋、服地屋、ブティックなど衣料品店が立ち並び、昭和50年頃は帯屋町筋組合220店のうち70店が衣料品関係だったほど。同じ頃、縫製工場はというと、県外メーカーから仕事を受け、縫い子がミシンを踏んでいた。しかし衣類は既製品に取って代わり、近年は郊外型のショッピングモールにファストファッションが台頭し、衣料に関わる仕事はなくなりかねない状況にあった。
 ある時、伊与田さんはエプロンや浴衣の縫製を得意とする縫製工場がよさこい衣装の縫製をしているという噂を聞きつけ、南国縫製の寺田誠二さん(74)の元を訪ねた。複雑な衣装も丁寧に仕上げる仕事ぶりに感心し、提携を申し込んだ。ちょうど大手メーカーからの依頼が減少しつつあり、寺田さんに断る理由はなかった。「時間をかければ技術的には問題はないが、よさこいはとにかく時間との戦い。踊り子の人数が最後まで固まらず、本番前夜に衣装を持って走ったこともあったほど」。寺田さんは高齢化などを理由に、昨年からは3人体制に縮小したが、よさこいの仕事は続けると腹を決めている。「なんでもあり!の衣装を支えるのは、よさこいに理解のある地元でないと」。
 よさこいをきっかけに県内には、品勘(しなかん)、マシュール、ほにや、スマッシュ、グリーンライン オム.など、衣装を手掛ける会社がいくつも誕生した。よさこい祭りが県外に飛び火すると県外チームからの発注も増加。デザインや縫製技術、小回りのよさなどそれぞれの持ち味を生かし、新しい市場を切り拓くことにつながった。


「新阪急・ひよしや」の当初のデザイン案(下)。染めとプリントの技術を駆使して仕上がった法被(上)。プリントで入れたラメのラインは、洗剤に弱く洗ったら取れたという苦情も届いた。なお、チーム名は「高知新阪急ホテル・ひよしや連合チーム」。

昇華転写が革命を起こす

転写用紙にインクジェットプリンターで模様を印刷し、大きなアイロンのような転写機に通すと、布に転写される。インクジェットでオレンジに見えていた模様は、転写されると鮮やかな赤の模様に仕上がった。 

平成に入りバブルが弾けても、よさこい大賞など受賞の仕組みができ、斬新な衣装の注目度は上昇を続ける。ドリームカンパニーは、洋服の補正の仕事を縮小しつつ、染めやプリントの技術を組み合わせて、それぞれのチームの要望に応える体制を作り、よさこい衣装製作に比重を移そうとしていた。代表の伊与田さんはある時、名古屋の展示会で、店先の幟(のぼり)などに使われる昇華転写(しょうかてんしゃ)の機械を目にした。紙に印刷するのと同じように、何色でも使える上、コストは一定。「これは衣装に使える!」。  
 ※フラフなどで知られる染めの技術は深みのある色を表現できるものの、製版、染め、乾燥、蒸しなど工程が多いため時間がかかり、色を増やすごとに費用はかさむ。  
 一方、昇華転写は、インクジェットプリントした模様を生地に高温でプレスして転写する技術。元々、幟や看板の用材に使われてきたが、大型ローラーの登場で、反物(たんもの)が連続して印刷できるようになった。工夫を凝らした複雑な模様を表現するなどデザインの幅が広がり、サンプル1枚の製作も簡単になった。「昇華転写ならデータを送って3時間もあれば布に印刷されて届く。グラフィックを活かしてカラフルに、かつ、スピーディ」。  
 2007年、「とらっく」の衣装に初めて使ったところ評判が立ち、今では、よさこい全体に波及した。

ミニ土佐弁講座 ※フラフ:端午の節句に鯉のぼりと共に庭先にあげられる旗



「とらっく」は、2007年に染めから昇華転写の衣装にした。使える色がぐんと増え、パソコンで描いたものがそのまま衣装になる。 (写真右は染め、左は昇華転写で作られた衣装)。なお、2015年に「とらっくよさこいbyちふれ」とチーム名を変更している。

想像を超える仕事

【写真】2017年初出場のYAMAKINチーム。菊の模様の入った生地に宇宙をイメージした模様をプリント。フリルのついたスカートも特徴。

2008年、よさこい衣装のデザインを学んだ娘の梓さんが会社に加わり、デザインからサンプル製作、縫製工場の発注、チームへの納品という一連の流れもできた。8月の本祭に仕上げられるチームは限られてしまうため、春や秋に本番を迎える県外チームからの依頼に応えながら、年間60チームの衣装を担う。
 梓さんはお客さんと打ち合わせをしてデザイン画に起こして提案し、パタンナーが型紙を設計し、グラフィックを担当するデザイナーが型に絵柄をはめ込んでいく。「うちは着物の形をした衣装が多いんですが、襟のくり方や高さが1㎝違うだけで、シルエットや見た目はずいぶん違うんです」。一見、着物のように見えても上下が分かれていて、腰巻きを組み合わせたり、子どもが主体のチームはマジックテープで簡単に着て、なおかつ着崩れしにくい形にしたり、チームによっても形を変える。打ち合わせと提案を重ね、パターンを微調整し、サンプルをチェックしながら、チームの要望に応えていく。「今年はスカート型の衣装が結構多くて、そこに宇宙をイメージしたデザインを印刷してギャザーを入れたいとか、真夏なのにベアロ素材を使いたいとか。そうきたか!みたいな意外な注文を受けると、驚きつつ燃えている自分もいます。チームの予想を上回る衣装を作るのが私たちの仕事ですから」。



8月の本祭が終わると、県外チームの衣装製作に取りかかる。 襟の形はいくつものパターンを持っていて、チームの要望に合わせてパターンを調整する。(上) サンプル後に色味変更が発生。昇華転写の色見本と、合わせる生地の見本を比べて、微調整をする。(下)

衣装で魅せる

 毎年奇抜な柄の衣装で観客を魅了する人気チーム「とらっく」。衣装のデザインは福島歩美さん(45)が担当する。「毎年、本祭で踊っていると降りてくるんです、翌年のテーマが」。2016年の夏、曲が流れると踊り子が舞い、沿道のお客さんが揺れ、風が起きた瞬間、〝風靡(ふうび)〟という言葉が浮かんだ。そこで、2017年のテーマは「御喜楽両々(おきらくりょうりょう)」。咲き誇る花に、風に舞う枝葉のイメージは年明けには固まったが、もう一つの面の柄が決まらない。6月の締切ギリギリまで悩んで、大きな天狗(てんぐ)の顔とヤツデの葉をあしらった。「ゼロからオリジナルのものを作る楽しさと、それを身に纏うゾクゾク感。さらに、振り向くと150人がその衣装を着て踊っている充足感は他にはない。元気と笑顔をベースに、感じるものを大事に、毎年〝攻め〟ています」。

①春頃にできた第1案。(左が前面、右が背面)


②サンプルを作って着てみたものの気に入らず、第2案を5月に作成。


③それでも気に入らず、6月末の締切直前に、背面に大きな天狗の顔をあしらったデザインにチェンジした。

 踊り子歴8年の吉永晴香さん(30)は、衣装は勝負服と言い切る。「本番衣装を着ると背筋が伸びて、雪駄(せった)の紐をきゅっと結ぶと行くぞ!って気合が入る。この衣装で、魅せにいく」。衣装は、前面に黄色を基調としたカラフルな牡丹、背面は紫を基調とした大きな天狗の顔とヤツデの葉。曲に合わせて腕を振ると、花が咲き誇り、そして散り、天狗が風を起こす。沿道のお客さんは団扇(うちわ)を手に、お決まりの掛け声も一緒に、通り一帯が揺れ動く。「全てが相まってひとつの景色になるんです。一体感が最高!」。

 衣装を纏った一人ひとりの元気と笑顔がはじけるよさこい祭り。2018年の夏へ、準備は着実に進んでいる。