かつて捕鯨や遠洋漁業で栄え、 今でも海洋深層水やキンメダイの水揚げ、
びわの栽培、備長炭など、室戸には海と大地の恵みがある。
今ここで、外から戻ってきたり、 やってきた若者たちが 新しい動きを見せている。
2001年に紅茶とカレーの店「シットロト」を始めた山下裕さん。室戸市羽根の出身で、岬の方にはほとんど行ったことがなかった。安芸で過ごした高校時代、喫茶店に憧れた。大学進学で大阪へ、その後上京して同じ夢を持つ真理子さんと結婚。10年間2人で死ぬほど働いて開店資金を貯めた。
帰省の度、安芸で場所を探したが、巡りあえない。気晴らしにR55を東の方に走ったら海を臨む道沿いに「貸宅地」という看板が目に入った。「海がオレンジ色に染まるこの場所で!」その場で大家さんに電話した。
「安芸に目が向いていたけど、やっぱり室戸で店を出してよかったです。最近、ジオパークの講習やイベントに参加したりしているうちに、業種関係なく知り合いが増えてきたかな。そうそう、最近若いもんの動きが出てきたよね。炭焼きしゆう子ら、知っちゅう?」
吉良川町
吉良川町の古い町並みを山手に上っていくと、土佐備長炭の窯元がある。近くの山で伐ったウバメガシをドーム型の窯に入れ、15日〜20日。金属の音のする備長炭が完成する。窯の温度は約1200度。炭を出す時は、冬でも汗が噴き出す。
吉良川で育った黒岩辰徳さんは、高校卒業後、高知市に出て4年働いた。運よく海洋深層水で作った塩の営業の仕事が見つかり地元に戻ったが、仕事がないと言って地元に戻れない友人がいた。その頃、国内で8割を占めていた中国産の備長炭が輸出禁止になり、国産備長炭のチャンスを知った。2007年、「炭玄」を立ち上げた。
「これからは、業務用の出荷だけではなく、加工の分野で炭玄ブランドを打ち出したい。地元に仕事を作って、残りたいやつは全員ここに来い!って言えるようになるのが目標です。観光協会にも、若い子らが顔を出すようになったって聞いたで。行ってみいや」
室戸岬町
岬の灯台のふもと、こぢんまりした小屋の中に観光協会とおみやげ売り場があった。
「そういえば、今日はずっとお茶淹れたりコーヒー淹れたりやねえ」と、事務局長の河上倫子さん。
高知市内の高校を出て、京都、オーストラリア、岐阜、モンゴルと渡り歩いてきた。3年前、ドルフィンセンターの求人を見つけ室戸へ。営業の担当になり、あちこち回っているうちに、もっと室戸をPRしたいと、観光協会に転職した。局長になって8か月。地元の女性と2人で、観光ガイド養成講座の開催やイベントの出店など、仕事は尽きない。
「室戸に来たころは、よそ者同士でつるむことが多かったけど、ここに来てから地元の人たちとも関わりがもてるようになってきましたね。ママさんバレーにも参加させてもらってます」
「おかえりなさーい」「おつかれさまー」。観光協会に若者が集まってきた。
柴田伊廣さんは福井県出身。地質研究で有名な高知大学で付加体について学んだ。連携大学院に進学して県外に出たが、2010年に室戸ジオパークの地質専門員の募集を見つけ高知に戻った。地質を一般の人や観光で訪れた人に伝えられる仕事に魅力を感じた。
500人が集まったジオパーク全国大会の懇親会で、室戸のこれからを垣間見る出来事があった。会場の体育館のまわりにはライトがなく、日が暮れると帰り道がわからない。そこで、ポケットから懐中電灯を取り出し、さりげなくお客さんの足元を照らすおんちゃんを見た。
「サッカーで言うと、高知の人はフォワードが多い。ファンタジスタで、すごい力を持っている。そこへいいパスを出すことが、よそから来た若者の役割かなと思うんです」
「あ、はっちゃんが来た。全員集合やねえ」 蜂谷潤さんが、東京からインターンシップに来た大学生と入ってきた。岡山県出身で、高知大学在学中に深層水を使ったアワビの養殖を発案し、室戸に通って研究を続けるうちに、移り住んでしまった。アワビを養殖して販売する事業を起こし、県外から20代の仲間も増え、着実に前に進んでいる。
「室戸にいる人がジオという同じ目標に向かって力を合わせたから、地元のもん、よそもんの顔が、やっと見えてきた。地元への思いはあるけど形にできない人、アイデアはあっても地縁がない人、今なら一緒にやろうって言える」
室戸の大地は、度重なる地殻変動で生まれてきたという。若者の動きは、まるで地下のうねりのようにも見える。太陽は東の海から昇り、大地を照らす。
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ドライバーのオアシス
シットロト 室戸市元甲2748-3
土佐の炎に燻されてみる?
炭玄(ギャラリー) 室戸市吉良川町甲2102-1
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室戸市観光協会 室戸市室戸岬町6939-40
まるごと室戸を知るなら
室戸ジオパークWEBサイト http://www.muroto-geo.jp/