今も息づく 令和の城下町の光景

今も息づく 令和の城下町の光景

江戸時代に築かれた高知城と城下町は人々に受け継がれながらその時代ごとに新しい文化や風景も見せている。令和の時代、お城があるからこそ見える高知らしい情景を訪ねた。

お城の石段は トレーニングに最適!

夕暮れ前の高知城。かつて武士たちが歩いた長い石段を黙々と駆け上がるのは、土佐女子中学高等学校のバドミントン部の部員たち。こちらの石段を使った階段ダッシュを、持久力をつける日々のトレーニングに組み込んでいるという。観光客などから聞き覚えのな い方言で声をかけられて驚くこともあるが、息を切らしながらもハキハキと受け答えをして、さつそうと走つていく。自身も同校のバドミントン部だったという顧問の浜田千佐(はまだちさ)先生は「私が在校していた頃より、ずつと前から行われているトレーニング。おそらく50年ほど続いているのでは」。土佐女子中学高等学校は、もともと武上の学校(教授館)があった場所。お城と生徒たちのつながりは今日も続いている。

同校のバドミントン部は現在、県大会トップの成績を誇る。さらなる高みを目指し、今日も石段を駆け上がる。
訪れた人の印象に残る 城下の自由な将棋対局

 高知城に隣接する「藤並公園」では、毎日のように青空将棋が指されており、お城を訪れた方なら一度は見かけたことがあるだろう。実はこちらの集い「高知城と追手門をバックに、自由気ままに将棋を楽しむ」ことを目的に「藤並将棋会」という名前で、かれこれ75年近く続いているコミュニティ。毎日、昼過ぎになると人が集まり、どこからともなくテーブルと将棋盤が設置されて対局が始まる。休 日ともなると、対局待ちをする見学者も出るほどの盛況ぶりだ。現在の参加者は70〜80代が中心。毎日家から歩いてくる常連も多く、将棋を楽しみながら城下の風情ある風景の中でリフレッシュしたり、健康づくりにも役立てるなど、各々がここに来る理由を教えてくれた。

学生や社会人も気軽に立ち寄って、対局を楽しんだ頃もあったそう。
令和の高知城は 多様な観光交流の場に

海外からのクルーズ船が寄港することもあり、近年ますます多くの外国人観光客が高知城を訪れている。そのため高知城は、江戸時代の文化を伝えることはもちろん、観光や文化芸術関連など、さまざまなイベントの会場としても活用されている。令和6年10月には、高知の歴史的な魅力や価値を音楽などの文化活動とあ わせて伝えようと取り組みを進めている「こうち文化福祉振興財団」が、高知城内の丸ノ内緑地にてジャズイベントを開催。インバウンドの観光客と地元県民およそ4400人が来場する盛況ぶりだったという。ステージでは「土佐音頭」や「しばてん踊り」といった土佐の伝統芸能も披露された。令和の時代、高知城は海外と地元の交流の場としてにぎわっている。

お城の動物園は 今も市民の動物園に

かつて「お城の動物園」として親しまれた動物園が高知城の敷地内にあったことはご存知だろうか。昭和25年の「南国高知産業大博覧会」をきっかけに開園したこちらには、当時、クマやヒツジ、ペンギンなど、55点の動物たちが暮らしており、さらに現在は高知県内で見る ことができないゾウまですぐ間近で眺められたという。獣医師兼飼育員であり、閉園時に勤務していた渡部孝(わたべたかし)さんは、「見上げると、高知城の天守閣が丸見えでした。お城を見ながら動物の世話をすることは、今考えると不思議な感覚でしたね」と振り返る。42年にわたり愛された「お城の動物園」は、平成5年に開園した、現在の「和の森わんぱーくこうちアニマルランド」に移転。今も地元住民に愛されている。

「お城の動物園」の時代から今も「和の森わんぱーくこうちアニマルランド」で元気に暮らしている、チンパンジーのタローとシュバシコウのダイ。