柿谷 貞洋さん 〜 プライムトーク 〜

 雅楽で使う管楽器のひとつ、龍笛。平安時代の貴族や武士に好まれた楽器で、清少納言や源義経、源博雅などがよく嗜んだと言われている。そんな歴史ある龍笛に魅せられ、伝統や格式を守りながら新たなスタイルで現代に伝承する、一人のアーティストにスポットを当てた。

直感した龍笛との出会い 今に続く日々のはじまり

 四万十市で生まれ育った柿谷さんが音楽を始めたのは小学生の頃のこと。母の勧めでフルートを習い始め、中学生になると部活動とは別にフルートの練習時間を設けて腕を磨き、市の音楽祭では独奏を披露するまでに。しかし「とにかく緊張して、楽しいとか気持ちいいとか、そんな感情はありませんでした」と当時を振り返る。そして高校は奈良県の天理高校に進学し、ここで龍笛を知ることに。「龍笛を目にした瞬間『これだ』と直感しました。フルートをずっと習っていたこともあったので、最初から割と音が出たのも大きかったですね」。そうして雅楽部に入り高校生活3年間で龍笛をみっちり学び、大学は天理大学に進学。もちろんこちらでも雅楽部に入り、そこでは月に5~6回外部からの演奏依頼があるなど、忙しい日々を送った。そして初の海外公演を行なったのも大学時代だった。「初めて行ったのは中国で、その後ロシアにも行きました。ロシアの演奏会はかなり大規模なもので、よく印象に残っています」。まさに雅楽と龍笛漬けの学生生活7年間を経て、大学卒業後も雅楽の道を突き進んでいく。

大きな転機となった アメリカに拠点を置いた2年間

 大学卒業後に、奈良県の龍笛の先生の元に弟子入りした柿谷さんだったが、その時は思うように芽が出ず、苦しい時期が半年ほど続いた。その生活が苦しく、一度リタイアして故郷の四万十市に帰り、この時アメリカで活動することを決意する。その後2009年に渡米。現地では、ニューヨークのコロンビア大学雅楽コースでインストラクターを務めたりしながら演奏家としての活動も続け、2010年には初の創作曲「Five Elements」を発表。そして2011年には、ジャパン・ソサエティーでの東日本大震災復興のためのソロ演奏で、米紙NY Timesより「色彩豊かな、時に畏怖すら覚えるほどの烈々たる鋭気をまとう演奏」と高い評価を受ける。「NY Timesに取り上げられることはひとつの目標でもあったので、巡り巡ってきた縁に感謝したことでした」。この年の11月に日本に帰ることになるのだが、約2年間に渡ったアメリカでの活動は柿谷さんにとって今後を左右する大きなものとなった。「龍笛ひとつで現地に乗り込んでいるわけですから、洋楽とセッションすることも多々ありました。それまで日本の古典音楽の一つである雅楽を、他のジャンルの音楽と一緒にするのに若干の抵抗がありましたが、アメリカにいるうちにそんな気持ちは完全に吹っ切れました」。

龍笛と雅楽の素晴らしさを伝承 これからも続く芸術を極める道

2015年に行われた自主公演「陰陽再生物語」の様子。柿谷さんが監督・主演を務めた壮大なテーマのもと描かれた作品。

 日本に帰って来てからは、国内外で行われる演奏会に参加する他、自主公演もいくつか手がけた。2014年には平家物語を、2015年には陰陽師をテーマに、古典雅楽に洋楽や声楽などを織り交ぜた新しい舞台を披露し、多くの観客を魅了した。また2016年からは高知県在住の弦楽器、管楽器で構成されたバンド「fairy pitta」のメンバーとして活動するなど、まさに精力的だ。ちなみに雅楽のピッチは430ヘルツだが、洋楽のピッチは440ヘルツ。この10ヘルツの違いを補うために洋楽専用の龍笛をオーダーメイドで構え、演奏会に合わせて2本を使い分けるのだそう。また演奏家としての活動の他にも、四万十市で龍笛レッスンを行ったり、海外の方にはオンラインで教えたりもしており、時代に沿ったかたちで龍笛を、そして雅楽の素晴らしさを伝え続けている。「芸術というのは自分の心を表現するものであり、それ以上でもそれ以下でもありません。上手く吹きたいという気持ちは時に煩悩となり、その感情を超えたところに個性があり、それを出すために日々鍛錬を重ねています。終わりがない世界でとても難しいですが、そこが面白いんです」。


FM高知で毎週金曜放送中の番組「プライムトーク」に出演した際のスタジオの様子。柿谷さんの出演は7月24日、31日の2回に渡ってオンエア。