目の前に大海原、背後に森林が広がる高知県は、47校の高等学校がある。土佐湾に隣接する高知海洋高校と森の中にある四万十高校の生徒が、同じ船に乗って屋久島を目指すという。自然の中で学び成長する若者たちを追った。
海のプロを育てる
より専門的に
高知海洋高校は各種の航海実習を行っている。今回、実習船・土佐海援丸に乗り込んだのは、船舶職員を目指す1年生9人。社会人の船員と、卒業してもなお船で学ぶため専攻科に進んだ9人の下で、船の仕事を学び、船の生活に慣れることを目指す。「先輩の動き、よく見ておけよ」と、実習担当の阪口勝俊先生(49)は生徒に声をかける。
海洋高校は、所狭しと漁船が並ぶ漁業の町・土佐市宇佐にある。平成9年に室戸岬水産高校、高岡高校宇佐分校、清水高校漁業科が統合され、県内唯一の海洋系高校としてスタートした。
生徒は、航海・機関・食品の3つのコースに分かれ、技術を磨き、資格取得のための勉強をしている。捕鯨船や自動車運搬船の船員、ドックの技術士、料理人など、卒業生約1200人が各方面で活躍している。
1年次に70人全員が参加する航海実習を経て、航海・機関コースに進むと、2年次にハワイ沖で延縄漁をする2か月の遠洋航海実習があり、3年次の習熟航海へと、経験を積んでいく。
ツナガール
2年生がハワイ沖で釣り上げたビンナガマグロは、食品コースの生徒が缶詰にして販売する。ホワイトミートと言われる高級ツナ缶は、文化祭で長蛇の列ができるほどの人気商品だ。「うちには、華麗な捌き手がいますから」と食品担当の石川憲一先生(48)は目を細めた。
白い帽子と前掛けをつけた食品コース3年の藤田由真さん(18)は、マグロの加工実習で解体を担当する、通称ツナガールだ。
身長151㎝の小柄な彼女。「せーの」の掛け声で、約30㎏のマグロをまな板の上に置いた。丁寧に鱗を剥ぎ、内臓を取り除く。包丁捌きに迷いはない。隣の部屋では他の生徒が、切り身を蒸し、小骨や血合いを取ってほぐし、缶に詰める。
藤田さんは、須崎市浦ノ内中学校出身。料理が好きで、海洋高校に入学した。部活は食品科学部。「この前、すり身天をつくりました。板前さんが学校に来てくれることもあるんですよ」。
家族はミョウガ農家を営む。最盛期の夏は、学校から帰るとミョウガのパック詰めを手伝う。「将来のこと、作業しながらしゃべるんです。普通科の学校よりも技術が身についているはず、ってお母さんは背中を押してくれます」。夢は、和食の料理人。学校で学んだ手捌きを活かしたい。
自然を活かす
人を育てる
森から海へ
「今回は、僕たちのために屋久島まで船を出してくれてありがとうございます」。四万十高校1年の威能蓮くん(16)が船長にあいさつした。四万十高校生8人の代表として、点呼やミーティングの司会を務める隊長だ。
デッキで海風に吹かれている福井ひろ子先生(36)は、「人生の大事な時期に、学校ではできない経験をしてくれたら」と、この実習の担当者として今回の研修に期待する。
学びの鍵を探して
四万十高校は、良質なヒノキの産地の旧・大正町にあり、戦後、窪川高校大正分校定時制の林業科として開校した。その後、全日制ができ、大正高校として独立したが、ピーク時から生徒数の減少は続いた。
「このままでは過疎化で学校が沈滞する」。平成11年、校名を「四万十高校」に変更し、新たに自然環境コースを設置した。「四万十」「環境教育」を全国にPRし、1期生30数人が入学した。
平成13年度に赴任した前島正二先生(50)は物理専門で、自然や生物については門外漢だった。まず自分が学ぼうとリサーチを始め、福岡県の柏陵高校を視察した。「生徒が放課後に自ら研究活動を行っていて、とても生き生きとしていました。休日でも、自主的に水生生物の調査をすると聞いて驚きました」。その生徒たちに話を聞くと、「屋久島研修が楽しみで入学した」と口をそろえる。「答えは屋久島にある」と前島先生は直感した。
幸運にも翌年、全国高校生自然環境サミットが屋久島で開催されることになり、生徒を引率して参加することができた。森を歩いて、屋久杉と共に生きてきた人の営みを目の当たりにした。帰る途中、生徒がぽつりと言った。「屋久島、なんか違うよね」。前島先生は、地元を飛び出すからこそできる経験だと確信した。
さっそく、森・川・海のつながりを学ぶ屋久島研修の企画書を学校へ提出した。県の実習船を活用できないかと相談すると、事務長が交渉に動いてくれた。実習船を活用したいという海洋高校の思いと重なり、平成15年度に念願が実現した。
屋久島をきっかけに
「屋久島研修は1年生で最初の滞在研修。うまくいくと、いいスタートが切れるんです」。前島先生は卒業生を紹介してくれた。
「屋久島の原生林に入って〝これが本物か〟と、正直、劣等感を感じました」。林浩史さん(23)は、7年前の屋久島研修を振り返る。旧十和村の山間の集落で生まれ、祖父が作る炭やシイタケ栽培などを手伝い、山を駆け回って育った。「この四万十の山や川はきれい」という思いに、疑問が湧いた。
2年の夏休み、友達2人を誘って参加した県外の環境研修会で刺激を受け、「自分たちも何かやりたい」と、小学生からお年寄りまで幅広い世代と四万十の環境を考える学習会を企画した。「まず自分たちが四万十の環境問題を解決できる存在になって、それを地域に広げていきたい」と、仲間を集め、地元企業に協賛を募り、開催へまっしぐら。周囲の大人には「今までやったことがないし、無理だ」と止められたが、30人以上の生徒を巻き込み、100人以上が参加するイベントを実施し、四万十の環境問題を知ってもらうことができた。
卒業後は保育士になろうと考えていたが、もっと自然や環境のことを専門的に学びたいという気持ちが勝り、筑波大学に進学した。現在は、県内の環境系の企業に就職し、川の水質や大気汚染を調査する日々だ。「ずっと自然に関わっていきたい」。一度点いた灯は燃え続けている。
力を合わせて
四万十高校生は、宿で翌日の登山の目標を出し合う。「頂上まで登れるか、心配……」と不安の声が漏れる中、「心を一つにして明日に挑んでほしい」と福井先生。威能くんは「全員で登る。ONE for ALL, ALL for ONE」と宣言した。
朝5時起床、標高1497mの太忠岳に真新しい登山靴を踏み入れる。「あれが千年杉、こっちは倒木更新」とガイドさん。遊歩道が終わり、傾斜のきつい山道になると、おしゃべりが途絶える。湧水を汲み、梅干を食べて、休憩をとる。岩場の多い山道を手を取り合い登っていくと、巨大な岩が姿を見せた。両手でロープを握り、腰を落とし垂直の岩を登りきると、ぱーっと眼前が広がった。種子島の向こうの海まで見渡せる。前日練習した登頂のポーズで、みんなで記念撮影した。
フィールドで学ぶ
翌日、屋久島をぐるりと回るフィールドワークに出た。栗生集落でバスを降り、マングローブ地帯へ歩いていく。「あれが島バナナ、これはリンゴツバキ」とガイドさんが道すがら教えてくれる。生徒たちはカメラを向け、メモ帳を取り出し、書き記す。
「これがマングローブの一種のメヒルギです」。川の河口付近に石垣があり、海面から緑色の葉がかすかに姿を見せる。「え?」。8人はポカンとした表情で、続く言葉がない。「昔はもっと生い茂っていたんですよ」と、ガイドさんが20年前の写真を取り出した。そこに石垣はなく、メヒルギが群生していた。「人が快適に暮らすためのものが、自然の姿を変えてしまった。みなさんは川の調査をやっていると聞きましたが、四万十川はどうですか」。8人は固まってしまった。どう答えたらいいのか、宿題を持ち帰ることになった。
夜のミーティング
「相当苦労したけど、精神的にも強くなったと思う」「屋久島で見たこと、聞いたことを、授業の中で発言していきたい」「葉っぱや種をもらえてうれしかった。趣味の植物採集に力を入れていきたい」「地元の川崎市は身近に自然がないので、ずっと四万十に関わっていきたい」。彼らは初めて自分の「将来」について口を開き、この体験をどう生かしていくか、考えを出しあった。
福井先生は声を詰まらせながら、「苦労して登った太忠岳ですが、広い地平線の一点にしかすぎません。それは、自分たちもそう。一つの点として生きていく。だだっ広い地球の中で、自分もあなたも一人しかいない。だから自分を大事にしてほしい」と、エールを送った。
屋久島研修——海洋高校と四万十高校の生徒たちは、5日間、海と向き合い、自然と向き合った。 16歳の彼らは、数年後社会に出る。そこは荒波で、いろんな困難が待ち受けているかもしれない。航海の技術を身に付け、「ずっと自然に関わりたい」という気持ちを芽生えさせ、それぞれ自分の「将来」に向けて一歩を踏み出した。
ブォーーーーーー。土佐海援丸はひときわ大きな汽笛を鳴らし、まるでスローモーションのように高知港から離れ、桂浜を越えて海に出る。7月22日、晴れ。目指すは、屋久島。往復約900kmの船の旅だ。
朝起きたら 土佐清水沖を過ぎていた。 今日も1日、海の上。
海洋高校の生徒と別れ、四万十高校生は山頂に巨岩がそびえたつ太忠岳へ。
登山をしながら、屋久島の森や植生を学ぶ。
前日の登山でくたくたの四万十高校生。栗生のメヒルギ、大川の滝、西部林道を回り、再び船へ。
土佐海援丸は、黒潮に乗り、風を味方につけ、高知に向かう。13時、高知港に着岸した。