〜プライムトーク〜鉄道愛好家「矢野純司さん」

GUEST

鉄道愛好家/矢野純司さん

昭和55年生まれ。高岡郡佐川町出身。子どもの頃から鉄道が暮らしの中にある環境で育つ。現在も、燃料を取り扱う地元企業で働く傍ら、熱心な鉄道愛好家として活動。高知県の鉄道に関する豊富な知識を持っている。

県民の一人として
暮らしの中にあった
鉄道への愛着

燃料を取り扱う地元企業の会社員。それが矢野純司さんの肩書きだ。ガソリンスタンドで給油の接客をすることもあれば、タンクローリーを運転することも、運送業者や生産者といった大口の燃料需要者のもとに足を運び、燃料に関する提案営業を行うこともある。

それらは確かに大変な仕事に違いない。しかし、「ありふれた高知県民の一人」と言われれば、その通りかもしれない。


 そんな矢野さんだが、実は、驚くべきもう一つの顔がある。それが「鉄道愛好家」という顔だ。

「子どもの頃から鉄道が暮らしの中にあった」と言う矢野さんは、鉄道への憧れと共に育った。青春時代には、話題になった数多くの鉄道イベントや、有名な鉄道写真家とも関わってきた。現在でも、熱心に鉄道旅に出かける。

しかし、あえて鉄道に関連する仕事には就かないと決めて、愛好家としての楽しみを守っていると言う。そんな矢野さんが、ありふれた高知県民の一人として見つめてきた、高知の鉄道の魅力を語ってくれた。

鉄道とともに育った田舎の少年時代
懐かしい鉄道風景

「子どもながら、漫画より時刻表を読むことが好きだったんですよね」と話す矢野さん。生まれ育った地元の佐川町でも鉄道が走っていたため、実家の畑に座って、よく車両を眺めていたという。

「当時は、十両を超えるような貨物列車が、夜中にも走っているような時代。昼間でも、腕時計なんか持っていませんでしたから、走ってきた列車を見て時刻を知っていたものです」と話す。当時は国鉄だったこともあり、現在よりも走っている車両の種類が豊富で「この車両の組み合わせが来たから、いまは14時だ」といったぐあいに、鉄道を時計代わりにできたのだとか。


 それほど身近だった鉄道だが、それでいて、遠方への憧れを感じられることも鉄道に惹かれた理由のひとつと言う。「鉄道は、自分が行きたいと思えば知らない土地にでも連れて行ってくれる。子どもながらに、わくわくしていました」。

小学生の頃には、地元の駅で「子ども駅員」としてお手伝いを開始。毎週日曜に改札口に立ち、不慣れな乗客に乗り換えや切符代の案内をした。後に有名な有名な鉄道写真家となる坪内政美さんと知り合ったのも、この頃のこと。

当時、坪内さんは高校生だったが、駅に立つ矢野さんと連絡先を交換。それからは、鉄道愛好家の一人として、鉄道イベントなどに誘ってくれるようになった。矢野さんの鉄道の世界は、これを機に大きく広がる。

四国で貸切列車のイベントを手がけるようになった坪内さんのもとで、時には全国から手配する列車を四国で走らせた。鉄道ファンが列車を貸し切り、それがつつがなく運行できるよう、鉄道会社も心を砕いてくれる。当時は、そうした時代だった。

高知の鉄道を
これからもずっと
好きでいたいから

 忙しい日々の中、現在でも鉄道旅を楽しむ矢野さん。休日は高知駅の始発列車に乗り、1日中列車に揺られることを楽しむ。

少年時代と比べれば、高知の鉄道も、座席シートの仕様やICカード対応など都会的になってきた。それでも、昭和20年代に走っていた骨董品のような車両を、いまでも大事に運行させて、どこかゆったりとしている高知の鉄道に変わらぬ愛着を感じる。


 鉄道をはじめ、公共交通機関の維持が危ぶまれている昨今。高知の鉄道に「これからも存続していってほしい」という思いから、県民として応援できることを考える矢野さん。

「やはり、まずは乗ることだと思います。日常的な利用だけでなく、子どもを乗せてあげたり、観光列車に乗ってみたり。乗車する機会を持てば、鉄道にも関心を持てるようになりますよね。それに、もし鉄道に乗って楽しかったら、友人などに「鉄道もいいよ」と伝えること。そうやって『地域に鉄道がある価値』をそれぞれが認められたら、きっと高知の鉄道は、走り続けられると思います」。

鉄道写真家の坪内政美さんのイベントを、スタッフのひとりとして支えてきた矢野さん。大きな話題を呼んだイベントもあった。

FM高知で毎週金曜放送中のラジオ「プライムトーク」に出演した時の矢野さん。矢野さんの出演回は12月24日、12月31日の2週にわたってオンエア。