高知の文学者が綴った名作〜大正〜

主流を逸脱した高知人の自由な発想が 鬼才・江戸川乱歩を世の中に輩出!
文学が一部の富裕層から、不特定多数の大衆へと広がりをみせた大正時代。主流に対して物申す高知人の自由な発想と反骨精神は、発展途上の日本文学に大きな影響を与えた。江戸川乱歩ら天才小説家を世の中に輩出したのも、また高知のジャーナリストだった。

新時代を拓いた高知の先人
〜文学は富裕層から大衆へ〜

新青年/森下雨村が初代編集長を務めた雑誌。大正ロマンが香る独特な表紙デザインがノスタルジックでいて新しい。

 書物を用いて発信するというジャーナリズムが見直され、新聞の創刊が相次いだ明治時代。高知出身の黒岩涙香により東京で創刊された新聞「万朝報(よろずちょうほう)」が、東京を席巻。政治や社会の腐敗を暴いた記事を始め、政治家を戦々恐々とさせるスキャンダル記事など、様々な社会の出来事を簡潔・明瞭・痛快に表現した内容が読者を魅了した。万民が手に取りやすい安価な価格も手伝い、最盛期には1日の発行部数が25万部を突破し、東京で第1位を記録。大衆新聞の先駆けとして、日本の新聞史に大きな足跡を残した。読者が一部の富裕層から、不特定多数の大衆へと広がりをみせた大正時代、編集者は「いかに読者を毎号楽しませて新聞を買ってもらうか」を追求し、進化の道をたどり始める。そんな中、涙香は、読者の探究心をついた探偵小説でも大衆を釘付けにした。日本の文学が発展途上の中、外国小説をもとに翻訳し独自のアレンジを加えた翻案小説を新聞に連載。推理や謎を含ませ惹きつけることで愛読者を増やしていく。  その流れを受け継ぐように、同郷の森下雨村もまた、探偵小説の発展に貢献。雑誌界に新時代を切り拓いた「新青年」の初代編集長を務め、海外探偵小説でファンの心を掴む傍らで、大衆より作品を公募し作家を志願する若者らに門戸を開いていく。その一人に、鬼才・江戸川乱歩がいた。雨村は乱歩の原稿を初めて読んだ時のことをこう記している。「真っ先に浮かんだことは、これが果たして日本人の創作であろうかということだった。(中略)たしかに立派な作品だ。がまだ日本人の創作で日本にこれほどの傑作が生まれるはずがない」と。一方、原稿の返事を手紙で受け取った乱歩は「この手紙を受け取った私の気持ちは、学校の成績が一番と発表された時の喜びに似て、その晩は興奮のために不眠症になって、あれやこれやと愉しい妄想に耽ったことを覚えている」と綴っている。  学芸員の福冨さんは、乱歩と涙香の繋がりについても教えてくれた。「乱歩は、大正時代に涙香の描いた小説『幽霊塔』にいたく感銘を受け、リメイク版の『幽霊塔』を執筆しているんです。昭和時代に描いた乱歩の『幽霊塔』に憧れて、今度は宮崎駿が『カリオストロの城』を創っているんです。涙香がルーツとなって乱歩に繋がり、そして平成の宮崎駿へと繋がっていく。時代を超えて繋がる文学の世界は知れば知るほど、とても興味深いです」。 

幽霊塔/黒岩涙香の幽霊塔(下)と、それをもとにリメイクされた江戸川乱歩の幽霊塔(上)。





【代表作家 in大正】

黒岩涙香(くろいわるいこう)
社会悪を徹底的に追及する態度と、持ち前のバイタリティで世の中を席巻した大衆文学のパイオニアであり、日本の探偵小説家の元祖。

森下雨村(もりしたうそん)
「新青年」の編集長として、雑誌界に新時代を切り拓き小説家を志す若者らに創作の舞台を提供。情に厚く権力を嫌った日本探偵小説の父。