陽炎の揺れる国道で、駄菓子屋の店先で、お城下で、よさこい祭りで、至る所にパラソルの花が咲く——自動販売機やコンビニが普及した今でも、暑さが厳しい高知にはアイスクリンがよく似合う。
こんな所にアイスクリン
床屋やパン屋など個人商店が並ぶ住宅街。その一角のどこの町にもありそうな青いテントの店先には、自動販売機やメニューを書いたのぼり。その横に、ペンギンマークの冷凍庫が置かれている。部活帰りの中学生が自転車を降りて、ポケットから百円玉を取り出し、「アイスクリンちょうだい」と声をかける。「今日も暑いねえ」と顔を出す店主の落合義文さん(48)。このアイスクリンの製造元である。
落合さんの父は「1×1=1」のコピーで有名な高知アイスクリーム商工業協同組合に所属するアイスクリン職人だった。昭和53年、45歳で独立し、工場を構え、アイスクリンの製造・卸の「南氷洋冷菓」を興した。その3年後、アイスが売れない冬場の収入源にと、焼きそば、お好み焼きの店「ペンギン」を高知市介良に開店した。
落合さんは高校に通いながら父を手伝い、店を任されるようになった。平成10年から父に代わって、アイスクリンの製造を始めた。「まさか自分がアイスをやるとは思わんかった」と苦笑い。週3日は朝3時に起き、4時には工場でアイスクリンを造り、11時には店を開ける。
「コンビニができて、24時間アイスが買えるようになった。アイスクリンを取り扱ってくれよった駄菓子屋も減った。やけど、わんぱーくのおんちゃんが売ってくれる間は、続けんといかん」。
昔の味を支える人
「おんちゃん、シロとピンクとソーダ」
「ありがとう。順番どおりに入れていいかね」
高知市桟橋の「わんぱーくこうち」には、週末になるとアイスクリンの店が立つ。おなじみの紅白のパラソルに、高知名物と書いた青い旗が揺れる。
近沢宣吉さん(75)は、元アイスクリン職人で、落合さんの父と同僚だった。「父が組合でアイスクリンを造りよってねえ。小さい時は、母が競輪場の横にあった〝こどもの国〟で売りよったのを食べに行った。一つ5円くらいやったろうか」。
近沢さんは9人兄弟の四男。中学を出て神戸製鋼に勤めたが、父の跡を継いだ兄に誘われアイスクリンの道へ。「兄は器用で、どんな暑い日に食べてもひんやりするアイスクリンをつくろうと、製造機械から開発する人やった」。近沢さんはその後独立し、食堂経営や食品衛生指導員を経て、アイスクリンを売っている。
「10年ほど前から県内のアイスメーカーは機械を新しくして、味が変わったけど、ペンギンのアイスは昔ながら。短時間でぎゅっと凍らせたアイスクリンは、こじゃんと冷える」。
この味を守る
高知市弘化台の落合さんの工場。ステンレス張りの部屋に振動音が響く。アイスクリンの製造機が3台同時に稼働している。
「これは、独立した父が設計図を描いて鉄工所に持ち込んで造ったもの。前に勤めていた協同組合にあった機械をイメージしたんでしょうね」。この機械は急速冷凍しながら攪拌するので、空気を含まないシャーベットができる。これが〝こじゃんと冷える〟の秘訣だ。
落合さんは頃合いをみて1つのスイッチを切ると、腰よりも高い台から、アイスクリンの塊を引き上げた。重さ10キロ超。「こんな旧式の機械、もうないで」とつぶやきながらハネについたアイスを丁寧に集め、保存用の入れ物に詰める。
「アイスクリンの原料は、卵と脱脂粉乳と砂糖。アイスの中では氷菓というジャンルで、ライバルは 中にかき氷が入ったアイス〝ガリガリ君〟。できたてのアイスクリン、食べてみる?」
一口食べると、意外になめらか。調子に乗って次々に口に入れると、キーンと頭が痛くなった。
アイスクリンって?
アイスクリームには、乳脂肪分や乳固形分の割合によってアイスミルク、ラクトアイス、氷菓など分類され、アイスクリンはどちらも3%以下の氷菓。ほのかな風味の正体は、バナナエッセンス。
ファンがファンを呼ぶ
娘を連れてわんぱーくこうちに行くと、必ずアイスクリンをせがまれたという板坂康さん(36)。
2011年頃から夫婦で「地元で居酒屋をやろう」と準備をはじめた。材料は自分たちが納得するものを選びたい、デザートのアイスも妥協したくないと思っていた時、お昼ご飯を食べに行った「ペンギン」のメニューに目が留まった。アイスクリンのほかに、素材にこだわったアイスがたくさんある。いくつか食べてみると「どれもいける!」。わんぱーくで食べていたアイスクリンも、「実はうちがつくるアイス」だと落合さんが教えてくれた。昔ながらの製法でつくった、大人にもおいしいアイス。「これを店で出そう!」と康さんは決めた。
居酒屋「鶏ぼうず」の開店とともに、ペンギンのアイスがメニューに並んだ。「女性が食事の最後に注文することが多いですね。迷っていたら、私の好きな塩キャラメルをおすすめするんですよ」。
高知には何種類ものアイスクリンがある。大きな工場を構えた会社もあれば、ペンギンのように家族で手作りしている所もある。照り返しのきつい道路で、町中で、立ち続けて売る人がいる。アイスクリンを一口食べると、作るおんちゃん、売るおばちゃんの顔が思い浮かぶ。
高知アイス 中村達雄さん
中村達雄さん(33)は大学時代に2年間、創業期の高知アイスで働いた。「大口の注文が入ると、カップアイス3000個を1日でつくっていました。製造は3人。僕が材料を調合して機械に入れると、一人が足踏み式の機械で充填して、もう一人が箱に詰めて冷凍庫に運ぶ。手作り感あふれていましたね」。
大学を卒業し異業種の企業に就職したが、6年前に高知アイスに転職した。「スタッフが増え会社が大きくなっていた頃で、休日に仕事を手伝っていたらこっちの方がおもしろそうで。配達、ネットショップ、売店、忙しい時は製造も手伝う。アイス屋さんって結構、肉体労働なんです」。
アイス屋の悩みの種は冬場の売り上げ確保。「常夏の国に持っていこう!」と5年前から海外へのアピールをはじめ、ハワイやシンガポールの日本食レストランや、香港の百貨店から注文が入りだした。「特にゆずシャーベットが人気。今年こそは、海外でブレイクしたいですね」。