スイカが拓いた高知の輸送園芸

高知県の歴史に触れる 県史特集

今回のテーマは、野菜や果物などを届ける輸送園芸。大きな消費地から離れた場所にある高知県では県内で生産された野菜や果物を全国へ運んでいる。その先駆けのひとつとなったのは、スイカだった。

高知の農業を支える 輸送園芸の物語
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大山端さん(右)と、高知大学人文社会科学部長の岩佐和幸(いわさかずゆき)副部会長(左)。

高知県史の編さん活動のなかでも、高知県の現代を「くらし」の視点から明らかにしようと、日々調査を進めているのが「現代部会」だ。

今回、岩佐副部会長が聞き取り調査にうかがったのは、佐川町に暮らす大山端さん。昭和35年に「高知県園芸連(現JA高知県)」に入会して以来、半世紀以上にわたって園芸王国高知の発展に携わってきた人物だ。大山さんが教えてくれたのは、「土佐の果物が高知の輸送園芸の歴史をきり拓いていった」という、知られざる物語だった。

大山さんが働いていた高知県園芸連は、県内で栽培された野菜や果物、花きをとりまとめて、全国の主要卸売市場に出荷してきた組織。高知県はもともと、東京や大阪をはじめとする大きな消費地から遠く離れており、地元で栽培した生産物をさらに全国各地に届けるには「輸送園芸」に取り組まなければならない。

それに取り組んできた生産者や関係者の歴史を、大山さんが話してくれた。

ミッション「高知のスイカを都会へ運ぼう」

せっかく収穫できても、売れなければ意味がない」と言う大山さん。

しかし、トラック輸送も高速道路もない時代。高知から都市部へ送ろうにも、野菜によっては日数がかかりすぎて鮮度を保てない。そんな時代に高知の生産者たちが見出したのが、野菜より日持ちがする果物。特にスイカを出荷するのはどうか、という試みだった。

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昭和4年、当時の湊川駅(神戸市)から東京へ高知県産のスイカを鉄道で送るため、機帆船から貸車へ積み込み作業を行う様子。船の上でわらに包まれているのがスイカだ。

「高知のスイカ栽培は戦前から始まっていて、県内各地にスイカの産地があったものです。昭和初期には、わらで編んだ入れ物にスイカを一つひとつくるんで、機帆船に積み込み、神戸や大阪に送り出していたんですよ。」温暖な高知はさらに全国より早く収穫し出荷できる。

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旧夜須町の集荷場に持ち込まれた大量のスイカ(左)。集荷場では選果が行われ、やがて船に積み込まれて輸送されていった(右)。画像提供は、すべてJA高知県。

早出しのスイカは、高知の自然条件を活かした保成栽培の先駆けだった。

輸送体制の発展恵まれた自然に「届ける情熱」がある

昭和から平成にかけて、高知の輸送園芸は大きく発展してきた。加温ハウスの登場といった栽培技術はもちろん、北海道から九州の全国の市場に届けていくため、県全域が一体となった出荷体制の構築や、船から鉄道、そしてトラックへの輸送体制の変遷など、輸送面でも不断の革新が続けられてきた。

その結果、スイカにメロン、土佐文旦といった果物はもちろん、さらにきゅうりやナスといった野菜が、高知を代表する産品として全国へ展開していくことになる。

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当時の資料を片手に、生きた経験の聞き取り調査を進めていく。

「高知からやってきたトラックには、いろんな野菜や果物が積まれていて、『ひとつのトラックだけで八百屋ができる』と言われるほど」と大山さん。スイカが拓いた高知の輸送園芸は、さらに発展していくこととなった。