GUEST
漫画家/正木秀尚さん
昭和39年、高知県香美市生まれ。高知大学在学中、出版社に作品を持ち込んだことをきっかけに、昭和60年漫画家デビュー。東京で活動した後、30歳で高知県にUターン。地元で作品制作を続けながら、後進の人材育成にも取り組んでいる。
まんがに目覚めてから ずっと描き続けてきた 高知の漫画家の物語
高知県出身の漫画家、正木秀尚。少年サンデー増刊号に掲載された作品『がんばれポストマン』でデビューを飾って以来、37年にわたって、繊細な描き込みとダイナミックな躍動感を併せ持つ、独特な作品を執筆し続けている。 そんな正木先生がまんがを描き始めたのは、まだ幼かった当時、近所のお兄さんに目の前で描いてもらったアニメのイラストがきっかけ。「まんがって自分で描けるんだ!と衝撃を受けましたね。小学生の頃にはもう、小さな連載漫画家になったつもりで、毎日まんがを描いてました」と幼少期を振り返る。当時は、特撮ヒーローやロボットアニメの全盛期。『仮面ライダー』の原作者、石ノ森章太郎に絶大な影響を受けながら、SFファンタジーの世界に浸る少年時代を過ごし、進学した土佐高校では漫画同好会を発足させるなど、気がつけば、まんがの世界にどっぷりとのめり込んでいた。 転機が訪れたのは、大学4年生のこと。友人と一緒に東京の大手出版社に持ち込んだ正木先生の作品は、編集者の目に留まり、そのまま誘われて投稿したコンテストで最終選考まで残るという大健闘を果たす。やがて、「デビューを前提に東京に来ないか」という編集者のスカウトが。この誘いに正木先生は、二つ返事で「行きます!」と答えた。弱冠22歳という若さだった。
正木先生がこれまで描いた作品。東京時代は、とにかくまんがの世界を追求していた。高知に戻ってからは、現実の世界をモチーフに描くことが多くなったという。
東京で連載デビュー 若き漫画家たちと 駆け抜けた青春時代
正木先生が上京した80年代は、少年まんが誌の興隆期。まんがそのものに非常に勢いがあり、若い作家たちが第一線で活躍していた。当時、正木先生がアシスタントを務めた上條淳士先生の年齢も、正木先生の一つ上。同じアシスタントには、後に人気漫画家になる河合克敏先生もいたという。描いていたのは、週刊少年サンデーで連載されていた『To-y』。インディーズのロックバンドを描くストーリーには若者らしい感性が込められ、また、正木先生も描いていた、音響機材等の背景の細かい描き込みにも話題が集まった。そして正木先生が24歳の時、初連載の作品『MAD STONE』が週刊少年サンデーでスタート。「当時は毎週描き上げることに必死でしたが、作品には、社会に対する若い反骨精神を込めていました。後になって受け取ったファンレターの中には『この作品を読んで、大人には負けないぞと思いながら定時制の高校を卒業した』という声もあり、何かを伝えられたのかなと思います」。その後も東京で執筆活動を続けていた正木先生だったが、久しぶりに帰省した高知で、縁に恵まれて結婚し、そのままUターン。30歳の時だった。
発見と刺激に溢れた 個性豊かな高知を まんがで描いてゆく
正木先生は「高知でまんがの仕事を続けることに大きな不安はなかった」と話す。もちろん、青柳裕介先生やくさか里樹先生など、高知在住の漫画家が既に活躍していることも心強かったが、何より、およそ10年ぶりに暮らし始めた高知には新鮮な発見がたくさんあり、それが作品の執筆に良い影響を与えてくれたからだ。例えば、人の魅力。高知には、まんがのモデルになれるような、ユニークな人がたくさんいる。キャラクターのインスピレーションから作品づくりを始める正木先生にとっては、地元の身近な人物がモチーフになることも増えたという。また、『TOTEMS』や『ガンダルヴァ』など、高知の街並みが登場する作品も多く描くようになっていった。
さらに、地元で受ける仕事も増えている。「市町村の観光PRを始め、地元出身の偉人などをまんがで紹介したい」という声が多く寄せられ、令和3年には、およそ100ページにわたって岩崎弥太郎の人生を作品に描いた。「高知には個性的で面白いものがたくさんある。それをまんがで描きたいと思っています。今は高知の酒蔵や土佐酒を題材にしたまんがを準備しているんです。高知の良いところを、これからもまんがで伝えたい」と新しい夢を教えてくれた。
エフエム高知で毎週金曜日に放送中の「プライムトーク」に出演した時の正木先生。正木先生の出演回は、令和4年7月1日、8日の2週にわたってオンエア。