伝え継がれる土佐物語
「お雪椿」
いまから三百年ぐらい前の話だが、影野村(いまの窪川町※)に西本寺というお寺があったそうな。 お寺の近くに池内嘉左衛門というて、このへんの土地をおさめる地頭がおった。
さてある年の秋、お寺の坊さんたちが嘉左衛門にまねかれてお祭りをしておったが、その中のひとりの順安を見て、嘉左衛門のひとり娘お雪が好きになってしもうたそうな。
やがてお雪の恋わずらいのうわさは、土地の人びとのあいだにひろがり、順安は仲間の坊さんたちにねたまれて、だんだんと居ずらくなっておった。そのうち、いさかいが大きくなって、順安は六人を相手に斬りあいをし、みんな傷をおって倒れてしもうた。虫の息の順安だけが近くの百姓に助けられ、命をとりとめたが、そのまま旅に出たそうな。
さて一方お雪は、順安が斬られて死んだときいてから、食事をとることも忘れ、やせおとろえてとうとう寝こんでしもうた。
そこでお母さんが、娘をすこしでもなぐさめてやろうと思うて、庭のすみへ椿の木を植えたと。
何年かたってその椿の花が咲きそめたころ、お雪の病気も重くなり、あすもわからぬありさまじゃった。そんなとき順安もお雪恋しさにたえかねて、ある夜こっそり影野へ帰ってきたそうな。 二人の姿は変わってはおったが、おたがいの心は変わっておらず、二人はただしっかりと抱きおうたと。
それからというもの、お雪の病気はうす紙をはぐようによくなったので、順安も坊さんをやめてお雪と結婚し、二代目池内嘉左衛門を名のり、それから幸せな一生を送ったということじゃ。 今ではあの椿の木もずいぶんと大きくなって、毎年きれいな花を咲かせているそうな。
出典/母から子に伝える土佐の民話2
著者/市原麟一郎
天衣無縫に生きた土佐おどけ者の生き様に惹かれ「近代土佐における、おどけ者の探求」を行い、数々の民話を発行。そんな市原麟一郎氏が惹かれたおどけ者は「いごっそう」「どくれ」「ひょうげ」「そそくり」「かんりゃく人」「のかな奴」「おっこうがり」「てんぽのかぁ」「ごくどうもん」など。
※平成18年に四万十町となった
影野の案内場所
四万十町影野には実際に椿の木が植えられていたが、2021年に枯死し伐採。作品を長く記憶してほしいと、枝の一部が県内作家の元へ渡り、作品として残そうと修復中だ。
訪れる観光客の休憩所とともに今もなお親しまれている。