移り変わる時代の中で、住民の生活を支えてきた川。 仁淀川町で川を見つめ続けてきた人々に聞く、当時の暮らし。
小さな集落で過ごした
たくさんの川の思い出
「椿山地区から最後の住民が去った」と聞いた中内さんが、家族を高知市内に残し故郷・椿山へ帰ったのは令和2年のこと。「家族は猛反対でしたね」と当時を語る。「色んなこと思うてね。お祭りもせないかん、誰もおらんなったら役場関係のこともほたくられて(ほったらかしにされて)しまうから」と椿山で一人、愛犬ラッシュとともに暮らし始めた。
仁淀川町の中でも旧池川町に当たる椿山は、標高約700mの山里。そこで畑を耕し、はちみつを取りながら暮らす。子どもの頃の中内さんの遊びといえば、川遊びやアメゴ突きが定番。
上流の川の水は冷たく、夏でも唇が真っ青になるので、河原で火を焚いて暖まりながら、突いたアメゴを焼いて食べたもの。「川に入ると足に当たるほどウナギもおった」と言うから、現代とはまるで別世界。
今では人も魚も減ってしまった故郷・椿山だが、中内さんにとっては、自然の中で趣味を楽しめる至福の場所。山の麓から引いてきた水は、故郷の水を汲みにわざわざ帰る人もいるほどおいしく、その水でコーヒーを飲んだり、無農薬の椿山茶を飲んだり、育てた無農薬の野菜を食べたり。中内さんいわくここでの暮らしは「まあ最高」なのだ。
愛犬ラッシュは、山道や畑を駆け巡り生き生き。椿山での暮らしを楽しんでいる。
伝統の「太鼓踊り」では、集落のお宮や神社を通り、大野椿山川まで踊りながら練り歩く。