生ものの臭みをとったり、食材を保存したり、生命維持にも欠かせない塩。太平洋を臨む土佐の浜にも塩田があり、塩市が開かれたという。山間部へはいくつもの塩の道ができ、塩とともに生活雑貨や※神までもが運ばれた。それだけでは足りず、香川の島からも塩売りがやってきて、山の※発酵茶と物々交換したという。※コラム参照
山のサバ寿司はなぜうまい!?
冷蔵庫のない時代、足の速いサバは塩漬けにされて山間部に運ばれた。そのままではとても食べられないので、山の人は知恵を絞った。
まず、塩抜き。梼原町越知面(おちめん)で仕出し屋を営む岡村シゲミさん(97)は、「サバの塩抜きいうたら、川の水。塩サバの尾を紐で縛り、川に立てた棒に括(くく)って4時間。水の流れで塩を抜いた」。水道ができた今も水を流して塩を抜く。塩抜きした後、穀物酢と柚の酢、砂糖、生姜、だし昆布などを合わせた酢に漬けて一晩寝かせるが、この酢の中にひとつまみの塩を入れる。こうすることで、サバの旨味が出るという。
塩抜きの手法は県内広くにあり、大豊町には薄めの塩水に3〜4時間つけたという話も伝わる。
こうして丸1日かけて仕上がったサバ寿司。皿鉢のメインディッシュにも関わらず、全て食べきらず「翌日」のためにとっておく。「炭火で焼いたら絶品」「サバの頭も焼いて、ほじくったらまた酒が飲める」「3日もしたらサバと米がなれて珍味」。サバ寿司に目がない人は、あの手この手でハレの日のごちそうを楽しんだ。
山のサバ寿司は、できたても2日目も3日目も、うまい!
自然の結晶
高知県で作られる完全天日塩。上段左から、塩二郎(田野屋塩二郎)、美味海(有限会社海工房)、海一粒(企業組合ソルトビー)、土佐佐賀天日塩いごてつ(浜田哲男)、下段左から、土佐の海の天日塩あまみ(土佐のあまみ屋)、土佐の山塩小僧(塩の邑 森澤宏夫)、土佐の塩丸2種(有限会社ソルティーブ)
山に暮らす人たちは、刺身のことを「無塩(ぶえん)の魚」と呼び、一生に一度は食べてみたいと願った。一方、海辺に暮らす人々は、魚の加工や調理に塩が不可欠だった。
塩はかつて瀬戸内一帯で全国の約9割が生産された。土佐の荒々しい太平洋沿岸で生産できる塩は、すずめの涙。終戦後、一時復活したが続かず、塩焚き業者は姿を消してしまっていた。
しかし!! 高知は大規模な工業地帯がなく、海水の汚染が少なくきれい。豪快な海風は汲み上げた海水の塩分を濃くし、さらに照りつける太陽が結晶化を促進させる。火を一切加えなくても、ミネラルバランスのよい天日塩を作ることができる。自然塩ブーム、そして1997年の塩専売制度廃止を追い風に生産者が増え、いま高知県は全国でも指折りの完全天日塩の産地になった。
海に関わる仕事を求めて東京から高知に飛び込んだ佐藤京二郎さん(45)。黒潮町のソルティーブで2年間修行し、田野町で独立した。「いかに塩で日本一になるか」──食材に合わせて粒の大きさ、色、味を変えるオーダーメイドの塩づくりを思いついた。天竜川の鮎に合う塩、トマトを漬け込んだ塩、魚のダシを染み込ませた塩……、ざっと数えて2000種類以上ある塩の噂は噂を呼び、フランスのレストランからも注文が舞い込む。
column うまさの秘訣は塩
高知を代表する郷土料理「カツオのたたき」。地域によって食べ方は違えど、「塩」が重要な役割を担っているのは変わらない。
❶焼きの前後に塩でたたく
カツオを節におろし、塩をたたいて焼くか、焼いた後に平作りにし塩でたたく。その後、安芸なら「柚の酢」、高知市あたりは「二杯酢」、須崎から幡多は「醤油だれ」、県西部から仁淀川方面は「三杯酢」など、それぞれのたれをかける。
❷ 塩だけで食べる
かつて沖の島では醤油が手に入らず、塩でカツオを食べ、「塩だたき」と呼んた。塩を振って食べる今の「塩たたき」「焼き切り」に近いのかもしれない。
❸ たたいた後に酢で洗う
四万十市中村の「塩たたき」はカツオの節を焼いて、まな板の上で平作りにし、こじゃんと塩をふって手でたたき、酢みかんを効かせた酢だれをたっぷりかけて塩を洗う。
column 塩にまつわるエトセトラ
塩と共に運ばれた神……香美市物部町大栃の塩峯公士方(しおみねくじがた)神社には、海の町から塩と共に御神体が運ばれたという伝説が語り継がれ、付近に「塩」という地名も残っている。
塩と交換された発酵茶……大豊町で作られる発酵茶・碁石茶。香川の島からやってきた塩売りが好んで買い求める商品だったので、高知県ではほとんど飲まれなかった。