Posted on 2014.12.24

家業を継いだあの人 せがーる No.9

仙頭酒造場 仙頭美紀さん清らかで美しく
川を流れる水のように

女性に飲まれるお酒を求め、酒の世界へ飛び込んだ。

高知県芸西村の酒蔵、仙頭酒造場を継いだ仙頭美紀さん

うちに秘めた情熱


仙頭酒造場のある芸西村の琴が浜

 まだ薄暗い空の下、酒蔵は動き出す。白い湯気が立ち込め、蒸した米の匂いが漂う。ここは高知県東部の芸西村。月の名所の琴が浜へと注ぐ和食川のすぐそばに、仙頭酒造場はある。明治36年の創業以来、「志ら菊」の名の酒を造ってきた。  
 仙頭美紀さん(40)はお酒の香りと蔵の空気に包まれて育った。しかし、「ほとんどお酒のことを知らなくて、あまり興味もわかなかった」。酒造りは男の世界。美紀さんはたまに蔵の中で遊ぶくらいだったし、4代目の父は2人の娘に家業を継いでほしいと一度も口にしなかった。
  高知市内の女子校に通いはじめた中学生の頃、洋楽や外国映画に夢中になった。高校時代は英会話サークルESS。海外への憧れを募らせていたある日、卒業生が母校を訪れフラメンコを披露してくれた。真っ赤な衣装に身を包み、カスタネットと靴を鳴らして情熱的に踊る。美紀さんはその凛とした姿に魅了された。  
 「フラメンコを踊りたい」。その一心でスペイン語科のある大阪の大学に進学した。友人とフラメンコ同好会を立ち上げ、先生を招いて練習を始めた。「1曲踊るだけで汗が噴き出して足も痛い。思ったよりも体力がいる」。でも、その爽快感にはまった。


土佐しらぎくを醸造する仙頭酒造場の酒蔵

水切り瓦と土佐漆喰の酒蔵。 戦時中の空襲をさけるように黒く塗られた跡が残っている。

土佐しらぎくの仙頭美紀さんのフラメンコ時代

フラメンコを踊る美紀さん。

お酒に目覚めて


土佐しらぎくの酒樽

 卒業を間近に控えた平成7年、失われた10年と言われた平成不況の真っただ中だった。学んできた語学を活かせる仕事に就きたいと、航空、住宅、いろんな業種にエントリーした中に、一社だけ酒造メーカーがあった。志望動機を綴りながら生い立ちを振り返る。「うちはいつもお酒の匂いがして、杜氏や蔵人に囲まれて育った。私は造り酒屋の娘なんだ」。忘れていた自分を思い出した。  
 縁あって東京の下町の酒販店に就職した。4〜5人のスタッフの中で、初の女性社員。若社長は早くから地酒に注目し、高知の無名の酒も掘り起こすほどの先駆者だった。  
 「え、これが日本酒?」。毎日届く各地のお酒を試飲する日々。佐賀の「東一」、静岡の「磯自慢」、銘酒と呼ばれるお酒を口にした美紀さんはハッとした。「これまで梅酒やチューハイ、カクテルくらいしか飲んだことはなかった。でも、日本酒には日本酒のよさがある」。酒米の田植えに行ったり、飲食店のお酒のメニューを提案したり、どっぷりとお酒の世界に浸かった。
 「志ら菊をもっとなじみのあるお酒にできないかな」。気づくと、父と電話で話すことが増えていた。

これからのお酒


戦後の仙頭酒造場の蔵人

昭和初期の仙頭酒造場。

 志ら菊のこれからを考えていた美紀さんは、ふと小さい頃のことを思い出した。ある夜、父と母が話をしている。詳しい内容はわからないものの、深刻さと緊迫感だけは伝わってきた。
 昭和40年代、清酒の消費量は年々上昇し続けた。大手メーカーは製造が追いつかず、小さい蔵から酒をタンクごと酒を買う「桶買い」が盛んにおこなわれていた。仙頭酒造場も大手と契約し、県外から杜氏を招いて酒を造り、生計を立てていた。しかし、昭和50年代に入り、清酒の消費量が減少すると桶買いは姿を消す。県内の小さい酒蔵が立て続けに造りをやめた。「うちも……」。大きな岐路にさしかかっていた。
 ここで美紀さんの父は、独自の道を歩むと決めた。普通酒から、吟醸酒へ。高知独自の酵母や、海洋深層水を使ったお酒など、未知なる酒造りに挑戦する。しかし、アルコールを添加した吟醸酒よりも、自然に近い米の酒に魅力を感じていた美紀さんは「お米だけのきれいなお酒を造ってみたい」。

私の純米吟醸


土佐しらぎくの仙頭酒造場の仙頭美紀さん

まず目で色を確認して、次に香りを嗅ぐ。 最後に一口含んで、味をみる。

 美紀さんは高知に戻った。父から営業を引き継ぎ、酒販店に新商品を紹介したり、小売店や居酒屋を回って試飲をしてもらったり。全国各地のイベントにも積極的に出展した。「女の人においしかったと言ってもらえると、私の気持ちが伝わったような気がしてすごくうれしい」。
 注文があれば必ず取引したが、吟醸酒も純米酒も生産量が少なく、人気が出てもすぐ売り切れてしまう。「普通酒を減らして、もっとこだわったお酒をたくさん仕込んでほしい」。美紀さんは年間の酒造計画を立てている父に訴えた。父は黙ったまま首を縦には振らない。けれど、美紀さんが毎日持ち帰る酒販店やお客さんの声を聞くうちに、耳を傾けはじめた。  
 「女性にも好まれるような、原料にも製法にもこだわったお酒が、きっとこれから蔵の柱になる」。もっとしっかりした米の味わいを出したやさしい甘みのお酒にしたい、という自分の思いを父と杜氏に伝えた。土佐杜氏の造る酒は、淡麗辛口に代表される高知らしさが特徴。経営者である父は、杜氏に全信頼を置き、造りを任せた。  
  美紀さんが帰郷して2年、山が紅く色づく秋から寒風の吹く冬へ、じっくり時間をかけた純米吟醸酒が生まれた。味も、香りも、美紀さんのイメージに近い。銘柄を「志ら菊」から「土佐しらぎく」へ改め、ラベルも一新した。
 これが私の純米吟醸。ただほんの少し、ためらいが残った。

らしさを求めて

 蔵に新しい杜氏がやってきた。福岡生まれで、全国の酒蔵で働いた経験を持つ2歳年上の男性だった。彼は酒造計画を立てると、美紀さんに言った。「お酒を紹介する立場の君も、蔵の仕事を知っておいたほうがいい」。
 女性が酒造りに関わるのは、百年を超える蔵の歴史の中で初めてのこと。美紀さんは日が昇る前から杜氏と一緒に蔵に入り、米を洗って蒸し、もろみを仕込んでいく。多い時は10本以上のタンクからもろみをとって、それぞれ布で濾し、日本酒度や酸度、アルコール度を毎日計測した。そして自分の舌で味を確かめる。「最初はお米そのものの味、それから甘酒のようになって、日に日にお酒に近づいていく」。これまで杜氏にまかせっきりだった酒造りは、発見ばかりだった。


土佐しらぎくの仙頭酒造場、麹室で種麹をまく様子

蒸した米に種麹をふりかけ、 麹菌を繁殖させる。


土佐しらぎくの仙頭酒造場の出荷作業

酒の仕込みも発送作業も、社員総出で行う。この日は、新酒の出荷日。 検品して、一本一本ラベルを貼る。


仙頭酒造場が製造する土佐しらぎくのラインナップ

現在、蔵の柱は「土佐しらぎく」。お酒の名前やラベルのデザインは美紀さんが担当している。


仙頭酒造場のみなさん

土佐しらぎくを生み出すスタッフと、 社長の雅男さん(前列中央)、杜氏の竜太さん(前列左)。 美紀さんは竜太さんと結婚し、子育てをしながら仕事を続けている。

日が暮れると、杜氏と2人で居酒屋に繰り出した。「土佐の淡麗辛口ってこういうもん?」「これはしっかりお米の味がする」「香りが高ければいいわけじゃないね」。数えきれない盃を交わし、自分たちが求める味を模索した。
 「しらぎくらしさってなんだろう」。美紀さんはかねてから感じていた思いを杜氏にぶつけた。「和食川のやわらかな水質を活かしたお酒にしていけばいい。高知の女性がみんなハチキンにならなくてもいいように」。上品な香りと、味にまるみのある女性らしいお酒。二人の方向性が重なった。  
 この道を歩いていこう。小さな自信が生まれたような気がした。

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