Posted on 2014.09.24

伝説探訪 Vol.5

早飯食い

秋の神祭といえば踊りや神楽ににぎやかな直会(なおらい)。
しかし、高知市土佐山の高川地区は平家の落人に思いを馳せる奇祭が受け継がれている。

高知市土佐山の早飯ぐい

 これが祭りの前の静けさなのか。仁井田神社の社殿の中、村民が向かい合わせに並び、左手にてんこ盛りの白飯を、右手に箸を握り、祭りを仕切る当頭をジーっと見る。  
 「それではみなさん、召し上がりください」の合図で、村民たちは目の前の白飯に一斉に立ち向かった。
 「ユーユー!」「ユー!」「ユーユーユー!!」。飯を食べるかと思いきや、村民は「湯」を求めて大声をあげた。すると、米のとぎ汁を温めた湯をヤカンに入れた割烹着姿の女性が、村民の間を忙しなく行き来し、碗に湯を注ぐ。片や、「ミソ!ミソ!」と叫び、椿の葉に載せた焼ミソをおかわりする者も。時おり湯をこぼしながらも飯を飲み干した強者は「ゼン!ゼン!ゼン!」と叫び、ドヤ顔でお膳を持ち上げた。その隣では、おばあさんが飯を喉に詰まらせ「゛ユー、ユー」と声を絞り出している。とにかく早く飯を食うことに命を懸けたお祭りなのだ。
 以前、当頭を務めた永野満福さん(86)によると、土佐山は平家の落人の伝説が多く言い伝えられ、源平合戦の出陣の前の慌ただしい食事になぞらえて、「早飯食い」が始まったという。「この険しい山で稲は多く作れず、普段食べるのは麦とか粟とか雑穀ばかり。年に一度のお祝いに、白ご飯をお腹いっぱい食べるのはこの上ない幸せだったんでしょう。一説によると300年以上前から続く行事のようです」。
 全員が食べ終わりお膳を返すと、今度はお寿司や皿鉢を囲んだ宴会の時間となる。ゆっくり酒を酌み交わす村民は、ずいぶん穏やかな表情になっていた。


高知市土佐山の早飯食いのご飯

この日のために「神田(しんでん)」の新米を4升炊いた。てんこ盛りの白飯に、椿の葉に載せた焼ミソが添えられている

高知市土佐山の早飯食いの神事

祭り当日、氏子は正装して集まり、神様にお供えをし、神官と太夫が神事を行う。そのあと、早飯食いが始まる。

高知市土佐山の早飯食いの後の直会

祭りの世話は8人の「当人(とうにん)」が行う。祭りの前日は「大口開け」といって、当人が集まり、マグロの刺身、ねじりこんにゃく、たたきゴボウを肴に酒宴を開く。

あき



あき


早飯食いは、毎年11月8日に高川の仁井田神社にて開催しています。


久万川部落の小高い場所に平家の落人が隠れ住んでいた。水を求めて山の向こう側に移り住んだが、馬の鳴き声がすると源氏の討伐隊に噂が広がり、戦いになった。落人は馬にまたがり「右立ケ」まで来た所で弓矢の一斉攻撃に遭い、馬はことごとく倒れ、久万川の西下の方で刀を抜いて戦ったが、最後の一人が「舟の宮」で力尽きた。今も「右立ケ(うりゅうが)」の下の畑に「馬塚様」という家畜の病をなおす神様があり、西下の方は「戦場ケ久保」という地名が残っている。(参考:土佐山村史)


高知県立歴史民俗資料館 梅野光興さん
 高川の早飯食いは県内に類例のない行事です。四万十町(旧大正町)下道(しもどう)の霜月(しもつき)祭にはかつて山盛りのご飯が出たようですが、今はやっていないようです。大飯を食べる行事は日本各地にあります。神に豊作を感謝し、豊かな稔りを誇示する意味があるのでしょうが、苦しみながら食べたり、高川のように早飯になったり、行事の焦点は変化しているようです。

  • share
  • tweet

Tag

トップページへ