Posted on 2014.06.24

伝説探訪 Vol.4

河泊様

浦戸湾に注ぐ下田川流域の南国市稲生(いなぶ)は、「河泊様」と呼ばれる河童を祭神とする神社がある。


 白く切り立った石灰岩。採掘場の煙の色に似た下田川にかかる稲生橋を渡り、細く曲がった路地をのぼっていくと、水色の屋根の小さい社殿が現れる。旧暦6月12日の「河泊様」の日、近隣の人々はきゅうりを持ってお参りし、社殿にお供えする。水難よけ、無病息災……河泊様に願いを込めて。    
 もともと水分を多く含む瓜類と水の神は親和性が高い。高知に伝わる七夕の昔話でも、主人公が瓜を食べようと割ったところ、大水が出て流され、恋仲の二人が別れ別れになってしまう。水に潜む河童も瓜の仲間であるきゅうりが好物だ。  
 「昔の下田川はきれいやった。夏祭りの日は、川で泳ぐ子どもに向かって、橋からスイカを放り投げたもんよ」と、橋のふもとで酒店を営む井上敏さん(80)。「スイカばい」と呼ばれ、子どもたちは次々と川に飛び込み、割れたスイカにかぶりついた。  
 日が沈むと、夜相撲がはじまる。まるでそこが特等席のように、河泊様の社殿の前に土俵が広がる。「石灰業が華やかな時代は賞金が派手で、関取が集まって、そら迫力があった」。相撲は稲生か仁井田、と噂が立つほど有名で、師範学校の相撲部員が賞金をねらって四股を踏んだ。現在、相撲をとるのは子どもだけだが、川沿いの県道に夜店が立ち並ぶ。地区外から小中学生が集まり、かつての名残を感じることができる。


下田の河童伝説
元禄時代のこと、下田川に河童が住んでいた。女や子どもを川に引き入れ、度々危害を加え、稲生の人は大変恐れた。ある日、百姓が馬を川に入れて洗っていると、突然、馬が跳ねまわる。河童が後ろ足にしがみつき川へ引きずり込もうとしている。  ところが、馬の力が強く、河童は川から跳ね上げられてしまった。集まった人に蹴ったり叩いたりされる河童を、延福寺の和尚が引き受けた。庭木につないでおくと、泣いて庭の草を引きはじめた。和尚は危害を加えないことを条件に河童を下田川にはなしてやると、それから河童の悪戯はなくなった。(参考・南国市史)


高知県立歴史民俗資料館 梅野光興さん
 土佐では河童のことをエンコウと言いますが、下田の河泊神社の主役は、カハク様であり河童と呼ばれることが多いようです。1747年の「土陽渕岳志」は下田の伝説の最古の文献ですが「河童」です。史料をみると、「エンコウ」という呼び名が広がるのはそれ以降のようです。また、下田の社は江戸時代は標須部(ひょうすべ、九州での河童の異称)明神で、河泊様は明治以降の呼称のようです。妖怪の名前も時代によって変わっていくのですね。




※〜ばい=〜奪いの意。「餅投げ」を「餅ばい」と言う

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